1 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 29

わたしの生い立ち~幼少期1~

2009年4月7日

「生い立ち」

 私は、昭和28年12月27日、慌しい年の瀬に、
広島市中区舟入南町の自宅で、姉二人をもつ末っ子長男として
産声を上げました。

歳春という名前には納得できます。

生家は広めの住居敷地内の玄関先に大衆食堂を開き、
中央に大きな鉄板を設けておりました。

そこから土間を経て奥側を自宅とし大きなかまどが並んでありました。
引き戸を開け少し離れて独身者用の下宿アパートを数棟設けており
数名の若い男性が居住していたと思います。

 

私の幼い記憶では、母親は朝から夜遅くまでお店で
お酒を出したり、裏庭でお酒を作ったり(当時は濁酒)、
下宿人の食事の支度をしたり、一日中働いていた光景が
ぼんやりと残っておりますが、何故か父親が働いていた
姿は記憶にありません。
父親は、いつも居間で昼間から友人と賭け囲碁をやっており、
時には外泊したりと放漫な父親だった様子です。
私は父親から叱られた記憶がありませんが、母親は大変苦労
させられた様子でした。
母親が忙しかったせいもあり、長男として生まれた私は、
年配のお手伝いさんから、かわいがられたことを憶えております。

 

 

「両親の離婚」

私が小学校入学前に両親は離婚しました。
離婚理由は分りませんが、子供心に父親の賭け事と
女性関係のトラブルが原因と察しておりました。
離婚後は、母親と姉と私の4名の生活となり、母親は
女一人で子供3人を養うこととなり、私たちは貧乏生活を
強いられました。

母親は一人でカウンター席のみの小さな食堂を経営し、
私達家族は、店の近くの狭くて安アパート住まいとなり、
生活は一変しました。

その食堂は本川の傍にあることから

「かっぱ食堂」  と名づけておりました。
お店の営業に際し、初めて電気冷蔵庫を開けて感動したことは
今でも鮮明に覚えております。
小学1年生の家庭訪問で「担任の沖先生」が食堂にやって来て、
母親がカウンター越しにビールを注ぎ、先生が旨そうに飲んで
いたことを傍で見ていたことを今でも憶えております。

狭いアパートは、家賃も安いため、陽も余りあたらず昼間でも
薄暗く、昼間でも電気を点灯しなけばならない部屋でした。
狭い台所と一部屋に、冬は家族4人で寄り添って、やぐらコタツに
足をぶつけながら質素に暮らしておりました。

 

続く…

わたしの生い立ち~幼少期2~

2009年4月6日

「他人に迷惑をかけてはいけない」

 
末っ子の私は、寂しさから子犬(ジョン)を飼って
可愛がっておりましたが、子犬が成長するに連れて、
近所の玄関先に入っては、靴やサンダルをくわえて、
傷つけたり壊したりで、母親はいつも近所に謝りに
いっておりました。

子供心に犬の首に鎖を繋ぐのは可愛そうでしたから、
鎖を解いて離していたのでよく叱られました。
やがて、昼も夜も吠えたりするようになり、とうとう母親から、
「ご近所や他人に迷惑をかけることはいけない」
と諭され、知り合いの中華料理店を営んでいる方に
もらって預くことになり、私は離れたくないので、何度も
懇願しましたが引き離されることとなりました。
子供心に、広い庭があればと非常に残念な悔しい思いに泪しました
(引き取り先ではジョンは、餌を当分食べなかったそうです)
母親からは、いつも

「どんなことがあっても人様に迷惑をかけてはいけない」
「絶対に嘘をついてはいけない」
「食べ物は残してはもったいない、バチがあたる」

と、きつく躾けられ教えられました。
当時は母親が怖い存在でしたが、父親代わりも務めた
母親に敬服します。
母親の働く姿から、強さと人に対する優しさ、そして
まじめに生きていく事を教わりました。
母親からの生活訓、躾がお金では得ることのできない
最高の財産を得たと感謝しております。

 
「体験は糧」

 
自宅の傍には本川が流れていましたので、時間があれば、
川に下りて小魚を採ったり、岸に座って夕涼みしながら、
チヌ夜釣りを眺めておりました。
ある時、母親をびっくりさせてやろうと岸に打ち上げられて
死んでいた大きなチヌを、竹竿に吊るして針にひっかけたまま
ぶら下げて、母親に見せたところ、母親は驚きもしないで
全て見透かされました。

川の傍で、四季の移り変わりの中で多くを経験し、
生活教訓からの忍耐も多く学んだ時期でした。

お金のかからない、冬の青海苔を積んだり、夏はハゼを採ったり、
真っ黒になるほど毎日泳ぎました。

学校の正門で業者から「ひよこ」を買って飼育するうちに
ドンドンと大きく成長し、あっという間にトサカが生えて
きたのには驚きました。

 
「手も挙げない消極的な小学生」


私の母親は躾には厳しかったですが
「勉強しなさい」

とは口うるさく言わなかったので、そのお陰で勉強しないで、
友人や動物、川と遊ぶ時間を多くもち、気ままに感性を
磨くことができたと思います。
特に学校では、消極的で自ら進んで手を挙げることは無く、
人と会話することも体育も苦手で、成績も悪かったです。
いわゆる消極的で成績も悪い生徒でした。
顔の色は教室では一番白く、よく顔色が悪いと言われる生徒でした。
唯一、漫画を読むこととが好きで、絵を描くことや工作は
好んで取り組んでおりました。

 

小学生時代の私を知っている友人は、
今の私が信じられないのも当然と思います。

 
続く…

「四国八十八カ所 第44番~47番札所」

2009年3月30日

前回3月14日のお遍路(1泊2日)に継いで、3月は2回目のお遍路となりました。昨夜は、当社の居食屋チームの社員達と市内のオーダーバイキング店で遅くまで歓談決起会で盛り上がり、またまた深夜の帰宅となり、前回同様に睡眠不足と週末の溜まっている疲れを沢山連れて出発です。先日より他店舗視察で深夜帰宅が続いており、経営者業務と並行し、計画通りにお遍路に参加することは、「時にはお遍路を休みたい」と弱い自分が顔を出し誘惑が襲います。

最近では、遍路を休まず計画を遂行し満願することも修行と思えてきました。3月末としては、肌寒い早朝に、どんよりと重い雲を連れて、家内の運転する愛車の助手席に滑り込み
Lets G0!
第45番 岩屋寺(いわやじ)

青い大型バスに揺られ、時折大きく揺れる心地よい狭い席に身体を任せながら、家内の肩を借りて、ウトウトしておりましたら「桜三里PA」に到着です。桜が満開でかなり濃いピンク色をしており、「桜三里」という地名に納得です。

 
 

お遍路旅のお陰様で、四季折々綺麗な草木を見ることができます。

前回のお遍路で、先達さんから次回お遍路の「45番の岩屋時は、四国八十八か所の中では一番の難所」と聞いており、不安を抱きながら到着です。かなり険しい坂を上り、途中でリタイヤする人も稀にあると聞いており、昨夜の寝不足もあり、フラつく身体で心配でした。

小さな橋を渡り細道に分かれ入ると、身体に良く効く、「しょうが湯」や「ゆずっ粉」等を売っているお店が3軒仲良く軒を並べておりました。お土産は荷物になるので帰りの楽しみにします。

 
 

 

 コンクリートで固められた坂道を、樹齢100年を越える杉の大木を道連れに上ります。途中から階段を登り、暫くすると、また坂道を繰り返しながら登ります。日頃の運動不足で足腰が弱っているので、無理しない様、途中で一休みしました。赤い極楽橋からは急坂になり、私にはきつい坂で「ハアハア!」と息が切れますが、家内は平気な様子で元気です(私よりは間違いなく長生きするだろう、それでいい)

 

 
 

 
約25分かけて、やっと山門に到着です。少し胸が苦しいです。

ここの特徴は、今までのお寺とは相違し、目の前には巨大な岩の絶壁が迫り崩れそうな迫力です。
大師が行をしたという、大きな穴がいくつか見えました。
大師堂の背後にも崖がそびえます。本堂は背に断崖絶壁を負うかのように建っており、岩に囲まれており、「岩屋寺」という命名に納得です。
帰り道に、自然食品「黒糖生姜湯の素」と母親のお土産に「ゆずっ粉」をゲット。

 

 

 

生姜は、強力な保温、発汗作用を発揮し冷え性の改善、風邪、のど、咳に効果的とか。
何故か、家内は直ぐお土産を買います。

 
 
 

 
難所と言われている「岩屋寺」でしたが、思ったよりは平坦でした。もっと急斜面を上ったりかなりハードと覚悟しておりました。しかし家内は余裕でした。45番を無事に御参りでき安堵し、足軽にバスに向かいました。

 

 

 

 ~ 昼食 ~

本日の昼食は「ふるさと旅行村」山間にある大きな山小屋風レストランです。
玄関先では、二匹のカモが仲良く並んでお出迎えです。「鴨ちゃん パチリ!」

 

 
 

 
温うどん、てんぷら盛、野菜煮物、、炊き込みご飯・・・豪華な昼食です。
昨夜は遅くまで飲食しており、胃を休めるため、炊き込みご飯のお替りは我慢しました。

食事作法・・・「一滴の水にも天地の恵みを感じ、一粒の米にも万民の苦労を思い、ありがたく、いただきます」 感謝の心で合掌

  
第44番 大宝寺(だいほうじ)

 

 

大宝寺の参道あたりは、巨大杉が立ち並んでいます。空気もひんやりして、霊山の雰囲気がただよっていました。
砂利道のかなり長い坂を上りました。仁王門には、大きなわらじが吊るされていました。

以前にも同じ様に大きなわらじが吊るしてあったお寺がありましたが、思い出せません。
本堂に上がるには、また長い石段があります。坂と石段の多いお寺です。

45番を先に御参りし44番を終え、やっと八十八か所の半分折り返し地点まできました。
昨年9月より始めて、丁度半年かかりました。これから後半を回り今年夏には満願します。
昨年、不慮の事故で実子を亡くされた、若い父親の方が毎回御参りされています。

午後からは時折、晴れ間がのぞきますが、直ぐに雲が流れて、3月末の四国としては肌寒い天候です。三寒四温というよりも、三温四寒がぴったりのこの頃です。
第46番 浄瑠璃寺(じょうるりじ)

バスに乗り、移動1時間程で到着です。
浄瑠璃寺には山門はなく、21の石段を上がると懐かしさを感じさせる境内に着きます。
右に鐘桜、左に納経所があり、奥に本堂と大師堂があります。本堂前には、釈迦の足裏の千福輪が刻まれた仏足石があり、素足で踏むことができます。
広い庭には、多品種の樹木や花が植えられており、願かけ札も多く見られます。
 
 

 
「まづ他人を幸せにしよう!」「今生きることありがたし」など、まさに反省と合掌です。

 

 


 

 第47番 八坂寺(やさかじ)

第46番札所から八坂寺まではおよそ1k弱という近場です。札所間としては最も近い道のりのひとつとのことです。
寺の入り口には、赤い橋と山門が一緒に造られています。

境内には、地獄入口と極楽入口が繋がった石房が造られておりました。先に地獄入口から入りましたが、床には、鋭く尖った石が埋め尽くされ、壁面には地獄絵図が描かれており、極楽通路には、丸い石が敷き詰められ、極楽絵図が描写されていました。

 


 

ふと「心のあり方次第で、現実の世界に極楽と地獄も出現する」仏教の教えにある「利己と利他の心」について思いを巡らせました。たくさんの赤いのぼりが綺麗に並んでおり印象的でした。
バス停から山門まで徒歩で7分程度あり、本日最後のお遍路を、畑や田園の散策を楽しみながらゆっくりと歩きました。途中では桜の満開を楽しみ、その他名前の分からない綺麗な花がたくさん咲いていました。道端では無人販売「イチゴ」や「柑橘、野菜」が数箇所設置されています。新鮮な果物や野菜に、お遍路の方も多く購入されていました。

バス待ち横の売店では、石像の置物などが販売されており、かわいい「タヌキ」をパチリ!

 

 
 

 
予定の4か寺の御参りを無事に終え、今回は山中先達さんより、山門に入る際に礼をする場所や参拝の作法を色々と学ばせていただきました。
車内座席に腰を沈めると、難所(45番)と言われる今回のお遍路を無事終えた安堵感から疲れがドッとでます。
山中先達さんと一緒に、本日最後のお勤め「般若心経」を唱えて 合掌~礼拝。

しまなみ海道の島々を渡る前に、「来島海峡PA」で休憩です。

 

 

 

 
そろそろ夕陽が水平線に沈みかけようとしておりました。
お母様と我が家の土産に讃岐「生うどん」を購入し、「北海道&みかんソフト」を食べながら、瀬戸内しまなみ海道を渡り帰路となります。

車窓から綺麗な日の入りを眺めた時に、心の穏やかさと爽やかさを憶えました。
 
 

 
帰路の時間を活用し、バスツアーの楽しみ「読書に浸る」時間を持てる幸福に感謝です。
家内は既に座席で、心地良さそうにバスの波に乗り、優しい笑顔でスヤスヤ寝息です。

次回のお遍路4月26日は、以前より家内の母親も「一度機会があればお遍路に参加してみたい」を叶えて3名で一緒にお遍路を予定しております。どんな想い出を作ることができるのか、今から創造豊かにするだけで楽しみです。ささやかでも親孝行の真似ができることの幸福に感謝しております。私の母親は4年間に他界し、一度もお遍路に連れて行くことができず申し訳ない思いです。

さて、次回は大きなお土産バックを準備しておいた方がよさそうです・・・。
 

2009年3月14~15日 【お遍路の旅 2日間】

2009年3月22日

「四国八十八カ所 第35番~43番札所」

前夜は会社で遅くまで飲食コンサルタントとミーティングを行い、遅い帰宅により週末の疲れが抜けない身体にムチ打って、早朝より家内の運転するティーダに乗って夫婦で自宅出発。前日からの、シトシト雨がまだやまぬ朝焼けの中を、睡眠不足の身体を引きづり1泊2日のお遍路に向かった。
第35番 清滝寺(きよたきじ)

バスに乗り込む頃には、小雨になり早い雲が大きく左に流れておりました。車内では読書に釘付けで、あっという間に瀬戸大橋を渡り、山超えにて高知土佐入りです。

バスから降りてワゴンタクシーに乗り換えて、狭く細い急な山道を登ります。ヘアピンカーブよりも、もっと急カーブしており切り替えしが必要な狭い山道を、プロドライバーさんは、慣れたハンドルさばきで、みかん畑を分けながら小走りに5分ほどで到着です。

石段を上がると、大きな薬師如来像が迎えてくれました。

正面には本堂、左に大師堂。右横には清水が流れ落ちる滝があります。
ここからの見晴らしのいい景色には深い郷愁を覚えます。集落のかなたに、土佐湾が広がっております。

薬師如来像の中に入ることができましたが、中は真っ暗で何も見えません。狭い通路を手探りで半周くらいすると、ロウソクの灯でお参りできるように奉ってありました。

狭い真っ暗な個室に閉じ込められた恐怖を感じました。
山超えから土佐に入るとすっかり雨は上がり、晴れておりました。
 ランチタイム ~

「三陽荘」食堂の大きな窓から、大きな入江の外に拡がる太平洋を眺め、道路脇には整列されているフェニックスが長く続いており、南国情緒たっぷりの絶景です。
鰹刺身のさわち料理、こんにゃく刺身、甘鯛煮付け、あさり汁と豪華なランチメニューです。

食事作法・・・感謝の心で、合掌で食前に唱えます。
「一滴の水にも、天地の恵みを感じ、一粒の米にも、万民の苦労を思い、ありがたくいただきます」 合掌
窓から広がる入り江から太平洋を眺めながらの景色もいただく最高に贅沢なランチです。家内は、お土産に大きなブンタン1箱を購入し、実家のお母様宛に宅配便でお願いしました。
 

  
第36番 青龍寺(しょうりゅうじ)

境内に入ると、170段の石段が一直線に延びています。
急坂はかなりきつく、もうひと踏ん張りどころです。私には少々きつかった。
途中、修行の滝がありました。
石段を上がった正面に本堂、右に大師堂があります。

3分咲きの桜が綺麗で「パチリ!」

横綱の朝青龍は、このお寺の傍にある明徳義塾(全寮制)相撲部で、170石段を上がったり降りたりで修行したことは有名とのことです。
朝青龍の命名は、青龍寺の修行からいただいて朝青龍を拝命したとのことです。

昼からのポカポカ陽気で、風が強くなり、花粉症がひどくなり鼻水が止まりません(泣き)

 
第37番 岩本寺(いわもとじ)

バスに乗って80分で岩本寺、16時に到着です。
今回は次のお寺までの距離が長く、バスに乗っている時間が長い遍路です。

車窓から太平洋を景色に、大好きな読書ができる幸福に感謝です。
天候が大きく変わり、急に冷たい風が身を包みます。駐車場の隣では
手作りアイスの販売され、角店ではブンタンが売られております。
土曜日というのに、巡礼の参拝者が殆ど見られません。

このお寺の本堂天井には、建てかえのとき、花鳥風月から仁王、マリリンモンローまで、575枚のさまざまな絵が奉納されました。
境内の横には、JR土讃線が通っています。

急ぎ足のバスは、18時少し前にホテルに到着しました。
ホテルでチェックインを済ませた私たち夫婦は、直ぐに部屋を飛び出し、足摺岬に向けて足を急ぎました。もうすぐ夕暮れとなり岬の景色を見ることができなくなるからです。


 
4年位前に夫婦で足摺に自家用車で訪れたときは、既に日が落ちており足摺岬はその様相を暗い海の中で揺れていましたので、今回は明るい内に足摺岬に会いたくて急ぎました。

途中の公園には、南国らしい亜熱帯植物公園を足早に通り過ぎました。
家内は余り気が進まない様子(寒いので部屋でゆっくり休みたい)でしたが、無理やり私の後を付いてきておりました。

私はいつもの調子で「折角足摺に来たのだから、明るい内に足摺岬を見よう!」

足摺岬は雄大でした。岸壁眼下には、強く大きな波が岩肌を力強く打ちつけています。そして太平洋の広さと、自然の景色に感動です。

 


 
夜食はホテル会場で、4人で一皿のさわち料理を頂きました。
さわち料理とは、お皿に盛られた料理のことで、カツオの刺身料理のことではありません。

やはり、疲れた心身には風呂が一番です。
宿泊:ホテル足摺園 高知県土佐清水市足摺岬
3月15日(日)

「おはようございます」
早い和朝食を済ませ、足軽く7時出発です。

第38番 金剛福寺(こんごうふくじ)

ホテルより徒歩5分ほどで到着です。
石段を上がると、大きな石亀が構えており、横には大きな石がいくつも積まれた池は見事なお寺で、写真撮りまくりです!
バスツアーの遍路さんたちと記念集合写真をパチリ!
 

 
若い3名の学生のお遍路さんが、真剣にお経を上げていた光景には心を打たれました。
朝より鼻炎がかなりひどく、ティッシュが離せなく、最悪で泣きそうです。
 

 

第39番 延光寺

車で長い移動時間、約80分でやっと到着です。
「修行の道場」最後の札所、延光寺は仁王門を入ると、すぐ右に修行大師像と竜宮から背中に銅鐘をのせてきたといわれる赤亀の石像がありました。左には、堂宇が並びますが、参道を挟んで池泉式庭園と枯山式庭園が造られています。

私たちは着ていた白衣を脱いで、亀の朱印を白衣の背中に押印していただきました。
朱印は油であり、乾かすのにかなり時間がかかりますので、ここからは白衣を脱いで御参りします。
 

 
第40番 観自在寺

いよいよ40番、伊予国愛媛県入りです。
ここ40番から65番は「菩薩の道場」が始まります。
門を入ると、右に鐘桜、左に八体仏十二支守り本尊の石仏が目につきます。

大師堂前には「お大師様の加持法具です。皆様の体をさすり、三鈷杵(さんこしょ)をさすって下さい」と書かれた三鈷杵が設置してあります。先端が三つに分かれている金鋼杵で、これをもてば障難を防ぐことができるといわれています。

大師堂周りの床には、1番~88番のお寺の名前が刻まれており、ゆっくりと一周しました。
家内は、ブンタンを購入しています(しかし良く買い物をする)

 

 

 
ランチタイムで~す

讃岐うどん、ご飯にふりかけ、小鉢で美味しく満腹です。
「ご馳走様でした 合掌」 売店で、わげさ止めを2個購入しました。
第41番 龍光寺

黒い鳥居を入ると、門前の参道には、みかんなどを売る店が軒を並べていました。
長い正面石段上には、真っ赤な鳥居。明治時代の神仏習合の名残りで、四国八十八か所中ここだけ、仏と神が一緒に祀られているのです。

バスが待っているところに引き返す途中で、民家の庭先で白い猫チャンに出会いました。
久しぶりの癒しに、そ~っと近づいて パチリ!

やはり、一日に1回は猫に出会えないと癒されません(我が家の猫たちは、良い子で留守番しているだろうか。恐らくスヤスヤと何も心配しないで寝ているだろう)

 

 

般若心経を唱え祈願します
「家内安全、企業繁栄、社員の成長と家族皆様の幸福、皆様への感謝・・」
第42番 仏木寺(ぶつもくじ)

山越えでバスは大きく呼吸しながら、右へ左へ揺られて20分で到着です。

入り口には、歴史を感じさせる仁王門が建っています。
入ると右に、四国霊場で唯一のここだけという「茅葺きの鐘桜」があり、奥が納経所になっています。

境内の隅には6体のお地蔵さんが並んでいます。
第43番 明石寺(めいせきじ)

本堂の屋根は唐破風造りで、赤いつやのある石州瓦が使われています。
屋根の上部は、滝が水中をうねりながら舞う様子を描いた瓦で飾られています。

「石州瓦は、薬にガラスの粉が入れてあり、雪が降っても自然に滑り落ちるのです」全て赤い瓦が使用されているお寺です。

そして、このお寺は賽銭箱が特殊です。足元の床に賽銭箱が埋められており初めての体験でした。
帰りに売店に立ち寄り、コーヒー(200円)と坊ちゃん団子(170円)で一息。
番外:十夜ケ橋(とよがばし)

 

 

添乗員さんのお勧めで、四国八十八か所には含まれていないお寺をお参りしました。

お大師様が、寒い冬を橋の下で一夜を明かした場所に御参りし、身近に感じることができ感動しました。

お大師様が横になって寝られた様子が石像として建立し、傍らには布団が積まれています。

橋の下でお経をあげましたが、夕方の冷たい風が疲れた身体を、無常に容赦なく突き刺します。すぐ後ろの川には、たくさんの鯉が群れていました。
時計は17時を指そうとしており、橋の下の風はかなり冷たく、急いでバスに戻りました。

車内座席に腰を沈め、二日間のお遍路を無事終えた安堵感と疲れで、「フ~」ため息がでます。
バスを走らせ暫らくして、全員で今日最後のお勤め「般若心経」を唱え 合掌~。

今までの帰路は、瀬戸大橋経由でしたが、今回は愛媛からの帰路となり、しまなみ海道経由となります。帰路の時間を活用し、読み残しの書籍を一気に読み上げました。

帰宅して我が家のディナーは、自家製焼きそば(私が料理係りです)で夫婦で乾杯し、今回二日間のお遍路が終了です。
22時過ぎにPCを開くと、山積のメールがパンパンに待ち構えていた様に襲いかかりました。

家内が剥いでくれたブンタンを食べながら、ブログを書いています(あ~ 酸っぱい!)
次回のお遍路は3月28日です。休みも忙しくてゆっくりできないのも修行・・・・・。
 

1 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 29


記事カテゴリー

最新記事

PAGETOP