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「四国八十八カ所 第85番~88番札所 結願」

2009年8月24日

2009年8月22日  お遍路の旅 

 

 
昨年の9月21日より、家内と二人で「反省と感謝、祈願の巡礼」として始めた「四国八十八カ所の旅」もいよいよ本日で結願となります。これまでの1年間、仕事や家庭の都合、体調不良など色々とありましたが、夫婦で一度も休まず、遂に予定通り、本日15回で最後の八十八番を迎えることとなりました。本日無事に終えると夫婦揃っての結願となります。

家内は、一昨日より体調を崩し高熱により仕事を休んでおり、新型インフルエンザを心配しておりましたが、お陰様で夏風邪ということで昨日の静養で大分良くなりました。本日のお遍路の参加を懸念しておりましたが、熱も下がり大丈夫ということで、今朝は5時過ぎに起床し、慌しく荷造り準備し飛び立ちました。自宅を出る時には、中粒の雨が落ちておりましたので、傘を積んでマイカーを奥屋へと急ぎました。
奥屋パーキングエリアに到着した私達は、サンドイッチを頬張り、バスに飛び乗りました。

 

第85番 八栗寺(やくりじ)

 
見慣れた瀬戸大橋を渡り、高松に入った時には、雨はすっかり止んでおり曇り空でした。
八栗寺は前回御参りした屋島の東側、五剣山の中腹にありますので、「ケーブルカー」に乗り換えて登ります。

 


 
127人乗りの大きなケーブルカーで、片道約4分程度で到着です。

 

 
途中で下りのケーブルカーとすれ違いましたが、とても早いスピードに驚かされました。

 

 
途中のお土産店では「招き猫」が、ガラス越しにびっしりと並べられておりましたので、思わず条件反射で写真に納めました(いつもながら困った猫バカ癖は病気です)

 

 
お寺に着く途中で、「五剣山」をしっかりと眺める展望場所がありました。壮大な連山から力強さが響く様に伝わってまいりました。遠くには、ぼんやりと屋島の影が見えました。

 

 
本堂の背後は剣のようにとがった峰と断崖絶壁で、山岳修行場であったことを彷彿させます。明るい境内は、四季の花が豊富な様子が写真パネルで紹介されていました。

 
第86番 志度寺(しどじ)

志度寺は、香川県東部にある志度湾に面して建っております。昔の風情が残る志度の町に、番外霊場の地蔵寺があります。

 

 
すぐ近くには、江戸時代の学者で著名な「平賀源内」の旧邸とお墓があります。遺品館もあり郷土の異才人にあらためて興味を覚えました。各地で著名人のお墓に出会えます。

重要文化財となっている仁王門の入り口に立つと静まり返った緑あふれる境内。
朱塗りの五重塔や、本堂、大師堂など重厚な構えでした。

 

 
いつのまにか、曇り空は8月残暑の晴天に変わり、蝉の合掌も大きく響いております。
蝉の声と般若心経お経が重なり、残暑と一緒に巡礼旅の終を告げる趣を感じました。
本日で結願となる思いからでしょうか、般若心経を唱えながら、これまでの1年間の巡礼のお寺の景色や各地の想い出が巡ってまいります。
~ 昼食 ~

車で20分程移動した「大川オアシス」で昼食となりました。
駐車場のお庭には南国らしさの代名詞である、大きな「ソテツ」が並んでいました。

食事作法にて「ありがたくいただきます」
生醤油で食べる冷やしうどん、押し寿司、天ぷら「ご馳走様でした」
食事会場の大きな窓の向こうには、夏の青い瀬戸内海がパノラマに拡がっております。

 

 
遠くには小豆島が薄っすらと浮かんでおりました。
食事を終えて、売店で北海道牧場のミルクソフトをいただきました。
家内は何やら、お土産を買い込んでいた様子です。

 
第87番 長尾寺(ながおじ)

 
昼食を済ませ、駐車場に出ると、8月らしく積乱雲が元気よく高く昇っており、外気温もかなり上昇し暑くなってまいりました。額には大きな汗の粒ができておりました。

いよいよ巡礼も、残り2寺を残すばかりとなりました。バスを降りると、あと2か寺の遍路を惜しむ気持ちで、狭い歩道を一歩々踏みしめる様にゆっくりと長尾寺に入りました。
心の中では、あと2か寺で八十八寺のお遍路が完了し、いよいよ開放され結願という嬉しさと同時に、長い旅の終焉を迎える寂しさが交錯し、唱える般若心経にも最後の力がこもります。
仁王門と鐘桜を兼ねた山門を入ると、正面が重厚な屋根の本堂、右が大師堂です。

 

 

左右には2メートルを超える大きな「わらじ」が祭ってあります。
鐘桜門から見える本堂は堂々たる佇まいです。

四国には縁の深かった源義経ですが、義経没後の静御前の足跡が「静御前剃髪塚」としてこの寺に残っています。

 

 
静御前の母は讃岐小磯の生まれといわれ、静御前はその地に戻ったのでしょう。長尾寺で出家し、近くに小さな庵を結んで生涯を送ったと聞きました。

 
第88番 大窪寺(おおくぼじ)

ついに、夫婦で結願の寺、八十八番の大窪寺にやってきました。
結願は「けちがん」と読みます。

 
門前から石段上方に山門が見えました。
第八十八番結願寺、最後の山門と思うと、昨年秋から夫婦で毎月休まずに続けたこの1年間、巡礼の想い出がこみ上げ感無量です。1番札所の霊山寺住職の説教から始まり、これまでの様々な各人や寺の思い出が一気に脳裏を駆け巡ります。
「無事に早く終えたい」という思いと、「まだ終わりにしたくない」「もう少し続けてお参りしたい」安堵感と哀愁の思いが交錯します。
きっと家内の心中も「終えて楽になりたい」「引き返したい・・・」心が乱れているでしょうか。

茶屋横の門を入り石段を登ると、正面が本堂、背後には険しい胎蔵峰がそそり立っていました。本堂の中に「霊場結願所」と書かれた額があります。
結願のあとに奉納された、巡礼の金剛杖がたくさん奉納されていました。
境内で驚いたのは、四国の地で「広島原爆の火」石像が建立され、平和の火が灯されておりました。世界人々の幸福、そして世界平和を願い建立されたのでしょう。

 

 
最後の御勤め「般若心経」を、悔いの無い様にと心を込めて唱えました。
夫婦で元気に結願を迎えることを何よりも嬉しく思い感謝いたします。そして私を誘い、最後まで導いてくれた家内に心より感謝します。
昨年家内の誘い「二人で最後まで全部回ろう」のお陰様で、四国八十八ヶ所巡礼が結願できました。
最後のお礼を済ませ、お寺入口の茶屋売店で、遍路一同は待ち合わせとなっておりました。

お寺の入り口にある茶屋に到着すると、お接待の冷たいお茶をいただきました。
一緒に結願をされたお遍路それぞれの方が座敷に腰を下ろし、心地良い安堵の笑顔が溢れておりました。見慣れた顔がたくさんありました。色々とお世話様になりました。先達さんから一人ずつ名前を呼ばれ手渡しで「結願証」の交付となります。
私達の順番は遅くなりましたが「江口歳春、真弓様!」結願証をいただきました。

 

 

昨年9月よりスタートした、四国八十八カ所1200kmのお遍路が、本日で無事に結願となりました。これまで出会った多くの皆様方に感謝の念でいっぱいです。
走馬灯の様に、各地の1年が回想されてまいります。光陰矢のごとしです・・・・。

先達さんから教わった作法、山中の古い食堂でいただいた昼食のうどんとチラシ寿司、鰹のタタキ、高知の宿泊先から眺めた土佐湾の赤い夕陽、長い息の切れる急坂、辛く長い階段、徳島金時芋のお土産はたくさん買いました、河川沿いのガード下の凍てつく寒風で唱えた般若心経、1番所の霊山寺住職の説教、北風が身を切る寒冬の遍路、春の見事な桜吹雪、雄大な土佐湾に浮かぶ室戸岬、5月の雨に打たれた紫陽花、土佐清水の足摺岬、長い急坂が続く岩屋寺、ロープウェイ、猫グッズ、境内に咲く綺麗な花々、石像、仏像、古びた茶屋、地元のアイスクリン、お接待のお茶や押し花、連なる山脈、石鎚山、松山道後、わらじ、ロウソク、線香、仏像、山門、般若心経、家内の笑顔、掛け軸、朱印、お守り・・・・・。
9月には、一番札所霊山寺にお礼参りを済ませ、「高野山奥の院」を訪れてお大師様に報告のお礼参りに行きます。
巡礼のけじめとして、きちんと「お礼参り」を済ませ、四国八十八か所お遍路を満願とします。

雑談の中で、先達様より中国観音霊場(岡山、広島、山口、島根、鳥取)33カ所と、小豆島神社仏閣88カ所(弘法大師が修行された道場)を教えていただきました。
小豆島は交通便を考慮すると難題ですが、中国観音霊場には心が微動しましたが、少し休憩をさせていただき、家内と相談したいと考えております。
小豆島は今年10月に社員旅行で宿泊が決定しておりますので、その際にリサーチ予定です。

9月から11月の3か月間週末は、現在構成着手にあります私の書籍原稿作りに専念し11月末には原稿の書き上げ完了を予定しております。
著書のタイトルも今から考えますので、全く手付かずの状態です。
今年の中期経営計画会議の席上で社員に発表した「今年は書籍を1冊書き上げたい」の約束事を守らなければなりません。

書籍原稿が完了した後に、夫婦二人でゆっくりと中国地方を巡礼し、祈願御参りするのは、良さそうです。
「家内安全、家内健康、商売事業繁栄、社員成長幸福、業者繁栄」
 四国八十八カ所 結願に心より感謝します 合掌!

 

「四国八十八カ所 第79番~84番札所」

2009年8月11日

2009年8月1日  お遍路の旅 
 
7月下旬に入っても、いまだ梅雨が空ける気配も無く、今朝もどんよりとした黒く重たそうな雲がゆっくりと不自然に流れています。
自宅を出る時には、やや大粒の雨に変わり、傘を伴に出発しましたが、5分ばかり車で走り出した頃には、今度はフロントガラスから雨が消えておりました。
梅雨の終演を告げる、猫の目の様な天候です。
第83番 一宮寺(いちのみやじ)

仁王門をくぐると、いきなり蝉(セミ)の大合唱に迎えられました。大型スピーカーから聴こえてくる様で、とても大きく力強く響き渡っておりました。
小雨がパラついておりましたが、雨の中でも、蝉は元気よく鳴くことを初めて知りました。

鐘桜横のやぶ椿が、寄り添っていたのも風情がありました。
大師堂の御参りを済ませ戻り道に、お母さんと二人の子供さんが、小さな籐製の籠をもって並んで待っておりました。御参りのお遍路さんへの接待をするために並んでいたのです。
子供達が、それぞれ色の違う用紙を花ビラ形に切って、それに香りをつけた「香りしおり」の接待をいただきました。

 


 
小学校低学年の二人は、お母さんと一緒に一人一人に手渡ししておりました。
香り紙には「旅の途中、香りで疲れを癒して下さい」と書いてありました。

 


 
手作りの花形紙からは、「お遍路人の為に少しでも」との、人としての温かい思いが伝わってまいりました。
素晴らしく優しいお母さんの下で、優しい子供から立派な大人に育っていくことでしょう。
なかなか出来ません。少しでも利他の行いを見習いたいと反省しました。
心より感謝します、有難うございます 「合掌」

 

第84番 屋島寺(やしまじ)

屋島といえば、都落ちした平家と源義経の「源平合戦」で知られるところ。
香川県の代表的な観光地であり、午前11時前ですが、既に駐車場は県外ナンバーなどの自家用車で一杯でした。
仁王門、四天門とくぐると、正面は単層入母屋造りの本堂。朱塗りで軒下に見事な彫刻がしてあります。

屋島は、日本三大狸で有名なところです。大きな「石像の狸」がデ~ンと夫婦で並んでおり、右側にお母さん狸が子供を抱いて乳を与えています。こんな大きな狸の石像に出会ったのは、初めてです。

 

 

 多くのお土産売り場には、狸の置物や彫り物が多数売られています。

大きな「七福神の石像」が、きちんと7つ並んでおり、こちらも見事でした。

 


 
御参りを済ませ、慌しく写真を撮っておりましたら、私達の一行は頂上の方に向かっており、駆け足で追っかける様にして追いつきました。

 

 
 
屋島は「厄除け瓦」が有名で、この地を訪れた旅人は、頂上から眼下に広がる街並みを見下ろし、土で作られたお皿を力一杯投げるのです。私達も200円の厄除け瓦を購入し力任せに投げましたが、遠くに飛ばすのは難しいです。

 


 

帰り道の両脇に並ぶお土産売り場に、猫の置き物も多数飾られており、思わず反射的に足を止めカメラに収めました。

 


 

~ 昼食 ~

屋島観光地の土産売りレストランでのランチとなりました。
食事作法にて「いただきます」
冷やしうどんと弁当です。少し甘目の散らし寿司、魚味醂、だし巻き玉子、豆佃煮など、手造りの味を、本当に美味しくいただきました「ご馳走様でした」

バスに引き返す途中の土産屋に立ち寄り、屋島記念としてお土産を探しました。
手造りにより細い糸で丸く巻いた「珍しい手芸品」、そして置物の「夫婦狸」を買いました。

 


 

屋島寺は観光名勝の中にあり、見所がたくさんありました。

 
第82番 根香寺(ねごろじ)

仁王門には、左右に大わらじが飾られています。
本堂までは、自然石の石段を登ることを4回繰り返して到着です。
疲れ気味の身体で、少し足元がフラツキます。
薄暗いお堂には、20センチほどの観音様が祀られていました。その数、3万体以上といい、
荘厳な雰囲気です。
境内には、綺麗な草花があちこちで綺麗に色をつけております。

 


 

根香寺は、花の寺と言われる程、四季に様々な花を咲かせてくれるそうです。
今度機会があれば、晩秋か早春の草花に会える季節に訪れてみたいものです。  

 

第81番 白峰寺(しろみねじ)

寺の入り口は、五つの瓦屋根が高低に並ぶ珍しい形をした七軒門です。正目に護摩堂と納経所、右に客堂がありました。
本堂、大師堂は、手前右の石段を登りつめたところですが、途中に鐘桜、薬師堂、金堂があり、深山ならではの趣。参拝の醍醐味を味わいました。
それぞれのお堂には、十二支の「干支の石像」が設置されており、非常に珍しい光景です。

「猫おみくじ」というものがあり、猫の形をした小さな置物の中におみくじが埋め込んであります。思わず夫婦それぞれ仲良く手を伸ばしました。私は「吉」、家内は「大吉」でした。日本一可愛い猫おみくじは、記念品として自宅に持って帰り置物としました。

 

久しぶりに「金時芋」が売られていましたので一袋買いました。

 

 

第79番 天皇寺(てんのうじ)

天皇寺は、金山の東の山裾にあります。
参道を行くと、珍しい朱塗りの三輪鳥居が建っています。

 

 

中に入ると、正面にあるのは宗徳上皇を祀った白峰宮。天皇寺の境内は左側で、本堂、大師堂など堂宇がコの字に建っていました。入り口が二箇所あるので、向かって左側にある赤い鳥居からお寺に御参りする人が多い様子です。私達夫婦も鳥居を潜ってお寺に進みました。

いつの間にか雨はすっかり上がり、汗ばむ暑さに変わりました。
「般若心経」も、だいぶんと慣れてスラスラを唱えることがでできる様になりました。光明真言は暗記もできてまいりました。

 
第80番 国分寺(こくぶんじ)

国分寺には、建立当時のものと推定できる磁石が境内に残っています。点々とある33基の磁石は金堂跡といわれ、東西20メートル、南北14メートルの大堂であったようです。
全国でも珍しい大きな磁石です。
また、七重塔跡の磁石もありました。つり鐘は重要文化財に指定されています。
磁石郡のそばに鐘桜がありますが、これは県内最古の銅鐘です。

 

 

堀の石橋を渡ると、入母屋造りの立派な本堂。そこを進むと多宝塔の形をした大師堂になっています。
~ 御参り心得 ~

「同行二人」
私達は決して一人ではない。仏さまがいつも見守ってくれる。特にお遍路ではお大師さんがいつもいっしょに回ってくれる。なぜなら、お大師さんこそ苦悩してお四国遍路をした
人であり、その結果として誰でもが救われる道を開いた人だから。私はお大師さんに助けられ、また私は誰かを助けられれば幸いである。
同行二人は同行万人、世界平和へと広がる。

「修行と心得、愚痴妄想悪口は慎む」
ただの旅とは異なる修行である。何事が起こっても、怒らない、愚痴らない、ありもしないことを言わない。十善戒の如し。喧嘩しても良いがその日に謝って清浄心を保つ。懺悔と反省の旅である。
心は善を行なえば善に向かい、悪に堕せば悪に染まる。相互供養やお接待布施を行じて、人を信じ、人に守られる世界を修行して相互慈悲の世界を得る。
かなり疲弊したタオルハンカチで、額に滲んだ汗を何度も拭い、バス座席に滑りこみました。本日最後の「般若心経」おつとめを唱えながら、安堵感とお遍路旅の終わりを感じる寂しさを憶えました。
本日6か寺のお参りを終えて、昨年秋から始めた、私達夫婦の四国八十八箇所お遍路も、一番から始め、無事に八十四番までを終え、いよいよ結願まであと4か寺を残すまでになりました。
これまでに多くの方々との出会いや、お接待、各地のお土産、哀愁ある昼食、各地の想いで・・・よみがえります。
次回は、いよいよ四国八十八か寺の結願となりますので、夫婦で心を整え、皆様の幸福を祈念し「般若心経」唱えます。

 
                  本日の無事に感謝  合掌!

「四国八十八カ所 第71番~78番札所」

2009年7月20日

2009年7月12日  お遍路の旅 
 

早朝より梅雨の中休みと思われる、晴天に恵まれた行楽日和の晴れ渡る日曜日です。
気温の上がる7月のお遍路は、晴天よりも曇り気味の方が恵みなのですが・・・。
午前7時前ですが、すでに外気温が上昇し、厳しい暑さになりそうな1日のスタートです。
第78番 郷照寺(ごうしょうじ)

本日は、71番から78番までの8か寺を御参りの予定ですが、逆打ち周りで78番から始めて、71番を最後とすることになりました。

ここのお寺は、厄除けとして有名なお寺で「厄除うたづ大師」と呼び親しまれている大師堂は、いつも戸が開けられ、大師堂の前で読経ができます。天井には、綺麗な色彩で沢山の花の絵が描かれており、参拝を終えて暫く見入っておりました。100枚以上はあるのでしょうか。

 

 
 
大師堂の地下にある万体観音洞には、信者から奉納された1万体以上の観音像が整然と黄金色を放ち並んでいます。

 

 

 

冷気の中、生花や人形のお供えが独特な雰囲気をかもし出していました。地下入り口の上には、大きな観音像が金色に眩しく輝いて私達を見下ろしておりました。

 


 

第77番 道隆寺(どうりゅうじ)

本堂の左奥には、潜徳院殿堂があり、眼病平癒の「目なおし薬師さま」として知られています。眼病を患っている多くの方が、御参りに訪れるそうです。

 

 
 
また、本堂内陣には、厨子の中に秘伝の薬師如来像が安置され、左右には日光月光菩薩像、四天王像が祭られていました。
遠い昔に、家内の母親と目を患っている祖母を連れて、島根県の一畑薬師に御参りしたことを想い出しました。一畑薬師も「目なおし薬師」として有名です。

 

 
 

 

第76番 金倉寺(こんぞうじ)

弘法大師の姪の子である智証大師の誕生した寺です。旧道に面して仁王門があり、いまにも動き出しそうな姿の仁王さんが立っています。境内には、四国八十八カ所の砂を踏んで参ることのできるお砂踏み堂がありました。
大師堂のそばに、乃木稀典将軍の銅像が建っています。第11師団長として善通寺に赴任したとき、このお寺の客殿から馬で通っていたそうです。9月の第一土曜日曜日に乃木祭が奉納されるそうです。

 

 
 
時計はもう少しで12時を指しますが、日差しが一段と強くなり高い位置から太陽が眩しく、かなり暑く、暑い日差しの中を歩くのがかなり辛くなってまいりました。額からは汗がにじみ出し、身体は情けなくフラフラです。

 

~ 昼食 ~

暑さでフラフラの身体を休め、昼食となりました。
暑い時は、やはり冷たい麺が何よりです。食事会場は、大きな水車がたくさん、並んでいる会館です。

 

 

 
 
食事作法 ~ 「いただきます」 ~ 冷やし釜揚げうどん&炊きこみご飯を美味しくいただきました。「ご馳走様でした」食器を重ね椅子を入れて退席します。

  
第75番 善通寺(ぜんつうじ)

「お大師さん」と呼ばれている第七十五番札所の善通寺は、弘法大師生誕の地に建っています。大師の父佐伯善通の名前から号したとされる大寺院で、真言宗善通寺派の総本山です。さすがに大きく広大でこれまでの境内では四国霊場中では一番広いでしょう。諸堂も整っており、境内は東院と西院からなっています。とにかく広大な敷地面積です。

東院の南大門を入ると正面に重厚な雰囲気の金堂、右に立派な五重塔がそびえています。

 

 

左にあるのが、大師が生まれる以前からあるといわれる「大くす」の木が立っており、樹齢1200年以上と言われています。大師の象徴のように見えました。

 

第74番 甲山寺(こうやまじ)

甲山寺の10Kmほど先にある満農池は人工のため池。
弘仁12年(821)、大師は嵯峨天皇から、決壊した満農池の修築を命じられた。土木技術にたけた大師と、大師を慕う里人の努力が実を結び、奇跡的にも雑工事はたった3か月で完成した。日本最大の人工池だそうです。
天皇はこの成功をたたえ、大師に報奨金を与えた。大師はそれを資金として堂宇を建立し、四国霊場と定めたという。
寺号は、このお寺にある甲山が毘沙門天に似ていることからつけられたそうです。

 
第73番 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)

境内を一段上がったところに、我拝師山をながめる遥拝所があります。そこに、弘法大師が7歳のとき、仏門の世界に入る決意をして飛びおりた拾身ケ獄について記した石碑がありました。幼年弘法大師の張り詰めた気持ちが伝わります。
谷底目がけて身を投げた。すると、天女が天くだりし幼い大師を抱きとめたという。
のちに大師は、この感激を新たにして一堂を建立し、四国霊場と定めたと言われています。

 

 

 
 
 
第72番 曼茶羅寺(まんだらじ)

出釈迦寺より曼茶羅寺には、山を下って徒歩10分程で到着しました。
仁王門を一礼し、くぐると振り返ると「大わらじ」が2足飾ってありました。高さ2メールもあります。

 

 

 
 
石造りの太鼓橋を渡ると、正面に本堂、右に納経所、左が鐘桜です。
午後からの日差しはとても強く、暑さで身体中が汗だくです。四国は広島よりもかなり、早い夏を迎えております。暑さの中、徒歩とバスの乗り降りを繰り返し、お経を唱えてのお遍路は、体力的にもかなりきついものがあります。
梅雨は空けていませんが、香川県では早くも「セミの合唱」が夏を演出しております。
まさに、夏のお遍路は修行に触れる思いです。

参考までに、各お寺のお参りの仕方、唱える読経の順序をご紹介します。
ろうそく1本を点す。線香3本を点す。収め札浄財を納めてから、お経を唱えます。
1.合掌礼拝 2.開経げを一ぺん唱える 3.般若心経を一ぺん唱える 4.各札所の本尊真言を三べん唱える 5.光明真言を三べん唱える 6.弘法大師の名を三べん唱える 7.回向文を一ぺん唱える 8.各自願い事を唱える 9.「ありがとうございます」合掌一礼して退去する。
一つのお寺で、本堂と大師堂で、それぞれ同じ要領で御参りしお経を上げます。
懺悔と反省の旅です。

 
第71番 弥谷寺(いやだにじ)

本日最後のお寺は、お遍路泣かせと言われる長い石段で知られている弥谷寺です。

 

 

 
 

 私の身体は水分補給しながらも、暑さでフラフラです。家内もかなり暑さでバテ気味で、赤い顔をしておりますが、私よりは元気そうです。
先達さんのお勧めで、途中までタクシーを利用して登ることにしました。タクシーを降りると残りの石段は278段となります。4人乗りで一人往復料金750円でした。

本堂は境内のいちばん奥、岩山に背をあずけるように建っています。その手前の岩壁に阿弥陀三尊像が刻まれていました。高さ1メートルほどの摩崖仏は、風雨にさらされ輪郭がおぼろげです。それでもはるかな時を超え、人々を見守っているようなまなざしを感じました。

 

 

 
 

階段をしばらく下りると右に大師堂があります。ここの大師堂は、靴を脱いで階段を少し上がる珍しいお寺です。お寺の中で、ロウソク、線香を点し、座ってお経を唱えました。少し疲れた私の足腰には、屋内に座ってのお経は嬉しかったです。
帰りの下り階段は、一段一段をかみ締める様に、八か寺の御参りを無事に終えた安堵感と充実感を感じながら、汗を拭きながら下りました。
麓の売店に到着すると、ご褒美にソフトクリームとスポーツ飲料を抱えて、バスに乗り込みました。
今回のお遍路で、何とか無事に第78番までのお寺参りが終わりました。残り10か寺を残すだけになりました。次回は8月の盛夏を迎えるお遍路となりますが、夫婦で健康に留意し、当初決めた予定を無事に御参り祈願を終えることを祈念して・・・・。

                        本日出会った皆様に  感謝合掌!

2009年6月27日  お遍路の旅 

2009年7月6日

「四国八十八カ所 第65番~70番札所」

軽やかなリズム音が・・・夢心地の中で泳いでいる私の小さな耳の入り口をたたきます。
本日のお遍路は、前回と同様に週末の溜まった寝不足による重い身体にムチ打っての早朝強行となりました。
昨夜は、直営店舗の各ブロック長と部門のマネジャー達と13名で、我が家の中庭で「焼肉パーティー」で盛り上がりました。4人掛けテーブルと和卓にそれぞれ、ビール、発泡酒やウーロンで乾杯~! それにしても皆な感心する程良く飲むもんです。

 

 

社員達との飲食は、遠慮ない醜態振りで最高に盛り上がります。

 

城内ブロック長は、冷たいコーラーに焼肉と、キムチ盛りご飯を片手に「やっぱり焼肉には生のコーラーがええわ~!」すかさず、横から深田ブロック長の蹴りが入ります「お前な、ほんまにええかげんにせえよ!」(お互い様なのですが)

終宴の跡に残った残骸と跡片付けで24時でした・・・・。

 

第65番 三角寺(さんかくじ)

バスを降りて、タクシーに乗換えて寺の駐車場まで上ります。

 

 

寺の入り口は、自然石を組み合わせた2段階の石段です。初めの石段は少し緩やかですが、上段はかなりの急坂で全73段ありましたが、既に私の太ももが鳴いています。

 

 

境内に入ると、三角形の池があり、その中の島に大弁天が祭られています。
このお寺は、イボとウオノメに御利益があるそうで、薬師堂と山桜に御参りすると良いそうです。山桜は樹齢300年の大木です。隣には、小林一茶の句俳碑が建立しています。

 

 

帰りの石段もかなり急坂で足元がフラツキます。お天気は、曇り空模様で陽が差さないので暑さがしのげ助かります

 
第66番 雲辺寺(うんぺんじ)

讃岐国 香川県   涅槃(ねはん)の道場  第66番雲辺寺から第88番大窪寺へ
雲辺寺から、巡礼の旅は「涅槃の道場」に入ります。

雲辺寺には、歩いて登ることもできますが、急勾配の険しい山の為、今ではロープウェイを利用して上ります。

 

 

ロープウェイ出発時間は1時間に3本となっているので、12:40分に乗ることとなり、先に昼食を頂くことになりました。

 

 

~ 昼食 ~ サービスセンター 
温うどんに弁当・・・大変ご馳走様でした。

 

 

 雲辺寺は四国霊場で最も高い所(標高927メートル)にあるお寺。

 

 

ロープウェイ乗り場前には、数軒のお土産売店が並んでいます。焼きだんご屋、

 

 

たこ焼き屋の軒先で「シルバー色に輝く招き猫」を見つけました。

 

 

ロープウェイは約7分間で到着です。降りると直ぐに見事に連なる「青い紫陽花」が目に飛び込んでまいりました。綺麗な青色をつけております。

 

 

山頂駅からは、左右に徳島県側と香川県側とにプレートが敷かれていました。

 

 

以前もどこかで同じ様に県境のプレートをみたことがありましたが、残念ながら思い出せません。
杉の巨木が覆う参道の両側には、五百羅漢が座し、独特なお顔が参拝者をひきつけます。

 

 

このお寺は「おたのみなす」で有名です。成す=願いが成就する茄子が設けてあり、その上に座って祈願すれば願いは成就するのです。折角ですから私達夫婦も「おたのみなす」にあやかり祈願しました。

 

 

 (家内安全健康・事業繁栄・社員幸福・社会貢献・・・)

 

 

欲張りすぎです。
祈願成就の「マニ車」にも初めて触れました。
帰りは13:40分のロープウェイに並んで乗ります。車内のマイクから流れる若いガイドさんのかわいい声を聴きながら到着です。

 

第67番 大興寺(だいこうじ)

仁王像は高さ3メートルを超え、顔面には気合いが満ちていました。

 

 

その裏側には、こちらも3メートルを超えるでかい2足のわらじが奉納されていました仁王門をくぐり、手入れの行き届いた植木を過ぎると、カヤの大木があります。

 

 

建て看板には樹齢1200年と説明がありました。そのすぐ上には、楠木(クスノキ)があります。壮大な大木が石段にそれぞれ、空に向かって高くそびえております。
こちらも樹齢1000年と説明がありました。
その向かい側には「石造り五重の塔」がありました。

 

 

石階段を上ると、縁起の良い「三本葉の松」が立っております。
ご自由にどうぞと松葉が置いてありましたので、夫婦で一つずついただきました。
  

第70番 本山寺(もとやまじ)

仁王門は大きな屋根の安定感のある建物で「重要文化財」になっています。

 

 
赤い仁王さんに迎えられて入ると、正面奥に単層寄せ棟造り、本瓦葺きで国宝にもなっている本堂があります。
その手前右に大師堂、本堂左には立派な「五重の塔」があり、ゆったりとした落ち着きを感じました。
天候は曇りが晴れて、徐々に暑さが厳しくなってまいりました。暑い中でのバス乗り降り、境内移動、石段登り降りで、体力的にはかなり辛くなってまいりました。
汗を拭くハンカチも、かなり疲れてきました。
お経の声にも力が弱くなり、気を引き締めるために、拳に力を入れ大きな声で唱えました。

 
第68・69番 神恵院・観音寺(じんねいん・かんのんじ)

仁王門前に立つと、右には「四国第六十八・六十九番霊場」左には「七宝山 観音寺
神恵寺」と2つの札所が大きく書かれていました。ここは四国八十八カ所唯一の、一境内2札所です。同一境内なので移動がなく、本日の暑い巡礼の最後にして、ごほうびをもらった気持ちになります。

明治初期の神仏分離令などの関係で、同じ境内に神恵寺と、次の観音寺があるのです。
6月中旬には、神恵寺はあじさいの寺になり、あじさいの花が咲き誇っていました。
観音寺の本堂は、朱塗りの建物で、国指定の重要文化財になっています。軒下にたくさんの折り鶴が奉納されていて、親しまれていることが伝わってきました。

神恵院に参拝したあと、先達さんより「山の中腹に銭形展望台があるので、折角ですから行きませんか」と奨められ、徒歩往復で20分程度の道のりをフラフラになりながら、最後の持てるパワーを振り絞り、一歩一歩をかみ締めるように登りました。家内は元気に私よりも前を登っています。チドリ足でやっと展望台に到着すると、なんと眼下には、パノラマ180度の瀬戸内海が一望に拡がり、夕陽が迫りくる別世界が待ち構えておりました。
足もとから広がる公園の真ん中に、白い砂浜で巨大な銭形「寛永通宝」が彫られています。

 

 
西122メートル、南北90メートル、深さ2メートル、周囲345メートルもあるそうです。ここには瀬戸内海をバックに幻想の世界があります。他の観光客はカメラアングルを楽しんでおりました。私達夫婦は方々の旅行に行っておりますが、巨大砂の銭形は初体験でした。
展望大に流れる海からの潮風は、今日一日疲れた身体にとても心地よく、最高の癒しとなりました。
今回のお遍路は、寝不足と強い日差しによる暑さで身体はフラフラです。
最後の展望台からの景色には癒されましたが・・・少し・・疲れました。
早足でバスに飛び乗ると、強力な磁石となった座席にいきなり吸い込まれました。
瀬戸大橋を走る車内から、傾き始めた夕陽は本日の疲れを優しく包み込み、バスの心地よい揺れは、瞬く間に、夢見る揺りかごへと変わりました。

 

 本日の出会いに  感謝合掌!

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