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「四国八十八カ所 第12番~16番札所」

2008年11月29日

発心の道場(1番~23番) 阿波国 徳島県

先日11月25~27日までの3日間は、社員旅行で
神戸・大阪・京都の3都巡りを行い、楽しい想い出を詰めて
帰宅したばかりですが、一日置いた29日は3回目の四国お遍路日と
なりました。
昨夜は旅行留守中に溜まっていた業務で深夜遅くまで忙殺され、
早朝より激しく鳴り響く目覚まし時計に、覚醒していない
重い身体を炊きつけられた夫婦は、四国行きのツアーバスに
乗り込みました。

日頃の行いが良いのか今回も早朝より絶好の晴天に恵まれました。

第13番 大日寺

瀬戸大橋を渡り、徳島市内に入って最初の札所である
「大日寺」を、12番札所より先に御参りします。
境内には、しあわせ観音や、水子地蔵、子安地蔵尊などが
祀られています。

納経所前に、県指定の「小賀玉」という珍しい木があります。
秋には赤い実がなり、これを巫女が神殿で奉納舞のときに持つ
鈴に似ていることから、呼び名になったようです。


 

12番の焼山寺に参拝する前に、山の細道に位置し長い歴史を
感じさせる古家の「田中食堂」で昼食をとりました。
山間にある田舎の食堂で、四国の手作りうどんと、
手作り感がそのまま味に染み出ている「うどんだし」がとても
美味で、昔私の母親が作ってくれた手作りうどんを思いださせる
懐かしい味でした。田舎寿司も酢がよく効いてとても美味しくいただきました。

店頭で販売されていました、手作りの「すだちとゆずの合わせ酢」
2本と、「天然ゆず味噌」「徳島名産の金時芋」を購入しました。
田舎の手作りお土産は、都会のスーパーでは求めることが難しい、
愛情のこもった温かみのある本物の味です。
ゆす酢1本と金時芋は、家内の母親へのお土産です。
大変ご馳走様でした、合掌。
 

第12番 焼山寺

 
田中食堂から焼山寺まで、山あり谷ありの険しい急坂を歩けば
6時間程度かかることから、山道をマイクロバスに乗り10分程度で
山頂に登りました。そこから歩いて8分程度で到着です。

 

焼山寺への参道からは、四国の山並みが幾重にも見えます。
仁王門周辺には、多くの巨大杉が林立して、ひんやりとした霊気が
流れていました。巨大な杉は大人が手を繋いで4~5名は必要な
大きさでしょうか。今回の巡礼で一番印象に残ったお寺です。

 
第14番 常楽寺

石段を上っていくと、起伏のある岩の上に境内が広がり、
堂宇が見えてきます。正面に本堂、その右に大師堂。
左には同行大師像とりっぱな無縁塔がありました。
「まつり人のない霊さまをおがんであげてください」と書いた
立て札が添えてあります。

境内にむき出した自然石の庭園があります。時をへて、風雨に
侵食された跡が、優美なひだ状に広がっています。線香の煙が
境内から岩間を絶え間なく流れていく・・・。

第15番 国分寺

聖武天皇の勅旨で全国に建立された官立寺院のひとつです。
七重の塔を建てたときの大きな礎石がまだ残っていて、当時の
寺の繁栄がしのばれます。

御詠歌・・・薄く濃くわけわけ色を染めぬれば流転生死の秋の紅葉ば

第16番 観音寺

国分寺から観音寺へは、のどかな田園地帯を行きます。
寺に近づくと、商店が軒を連ねる門前町の風情へと変わります。
到着すると時刻は既に16時40分を回っていたので、ろうそくと
線香を立てることができなく、納札を納札箱におさめ、お賽銭を
あげて読経だけで終えました。全てのお寺は17時で閉門となります
ので、ギリギリの滑り込みでした。
*今回のお遍路は11月下旬という時節柄、徳島県山間を巡りながら、
絶景の紅葉狩りを一緒に楽しむ、贅沢なお遍路となりました。
境内やお寺参道の樹木には、もみじやイチョウが、
赤や黄色に染まり、木々は晩秋からの冬支度を終えようとして
おりました。

田中食堂でいただいた昼食の「田舎うどん」は、決して高級料亭では
味わえない、母親を思い出させる最高の贅沢をさせていただきました。

18時を回った車窓からは、陽が落ちた町並みを月明かりが遠慮しながら、照らしておりました。

最高の景色に、そして皆様に感謝、感謝、感謝!
                                合掌

わたしの生い立ち~サラリーマン時代1~

2008年11月20日

(人生の転機)


勤務先は広島市南区に位置する普通郵便局、
宇品郵便局郵便課に属していた私は、勤務職種変更希望として、
郵便貯金課内勤職を提出しておりました。
(銀行マンの勤務イメージで)
ある日突然、課長より職種異動の話があり

「このたび突然の話ではあるが、保険課で退職者があるので、
江口君は保険課外勤への異動はどうですか」

寝耳に水であったが、一両日検討の末、保険課外務職への
異動を承諾した。郵政職員入社1年目でした。

 

それまで、生命保険の営業外交については皆無の知識で、
考えたことも興味も全く無い職種でしたが、一度自身を試す
意味で営業の仕事に挑戦してみようと安易に決意しました。

事前の説明では

「主な業務内容は、一軒々各家庭等を訪問し保険料を集金し、
簡易生命保険のセールスを行うこと」

一見簡単そうに見える業務内容でした。

 

今振り返ると、保険課への異動が、私の人生最大の転機であり
商機となった決断であったのです。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代2~

2008年11月3日

(簡保セールスマン誕生)


不定期の異動により、同じ局舎内2階の保険課に
異動となりました。
午前8時30分、初めて保険課の朝礼に参加し、
今までの緊張感の無い郵便課の朝礼に慣れていた私は、
全く違う規律と緊張感ある職場を目の当たりにし、
身体の中に衝撃が走りました。

そして、上位役職課長席の頭上部には、営業担当者の
フルネームが保険獲得成績順に整列され並んでおりました。
瞬間的に、高校時代英語の鍛冶先生からテスト成績表を
高得点者から返していた光景が脳裏を走りました。
私の中で完全に消滅しかけていた数値に対する執念闘士が
呼び覚まされる鼓動が聞こえました。
そうして、簡保生保のセールスマンとしてスタートしました。
毎日の朝礼終礼時には、当日高実績者の氏名が呼ばれ、
皆の前で拍手で報労品を受けとります。

その光景はもやは英語の授業にタイムスリップし、
私の心はヒートアップし、完全にスイッチが入りました。

 

毎晩自宅で約款など周辺知識の習得に懸命に努めました。
配属当初は集金業務から初め、成績の良い職員は、
2年後位にはセールス専門の募集専務に昇格となります。

そして私は1か月目より数件の契約獲得に成功し中位の成績を挙げ、
3か月目には上位に入る成績を挙げ、
短期間で異例のセールス専門の募集専務に就きました。
毎日、他の職員の前で報労授与されることを目標に懸命に
頑張りました。

 

その後、保険募集契約高により、外交募集手当が付与される
ことを知り、好成績者には、成果に応じてかなりの外交報酬が
あることが分かり、私のスイッチは更にバシッと強固になりました。
当時は中国郵政(5県下)管内で保険セールスに従事する職員は、
約3,000人おりました。
配属2年までの新任職員で優秀成績を収めた職員には、
新人優績賞が授与されることを聞かされ、当面の目標とし
頑張り翌年新人賞を獲得し、その優績会議参加において、
管内の最高優績者の方との交流の場をもつことができ、
学びと同時に更なる大きな感化を受けました。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代3~

2008年11月3日

(高みの目標設定)


私の中では、更なる高みの目標として

「来年度は最高優績者の仲間入り、襟元に優績者のバッチを付る」

ことを掲げました。
保険セールスに従事する職員の中で、優績者には、
制服の襟元に金属製の輝くバッチが授与され、様々な会議の場でも、
人目で区別される様になっておりました。
受賞資格は、セールスマン3000名の中で、約3%に該当する
優秀成績者100名に付与されます。

 

書店に足を運び、多くのセールス手記物や専門書を買い込みました。
特に税務に関する知識を得たことは、大きな威力となり
所得税、相続税、贈与税、法人税などの知識は、確実に高額契約へと
綱がりました。
所得の高い人には、税務の知識話題が絶対不可欠であることも
体得しました。
夜や休日には、実費で経理学院に通い簿記も学び、ゴルフもやりました。
その他、生命判断講座にも通ったり、生命判断の習得は、
非常に話題作りに有効的となり、お客様との人間関係構築に
強力な威力を発揮し保険獲得に貢献しました。

お客様の名字氏名から字画数を算出し、性格や資質を判定し
アドバイスなども行いますので、非常に喜ばれました。
知識の習得勉強と比例して募集成績も向上し、
まさに、「知識は力」となることを痛感しました。

 

そして、当時ではまだまだ高額機器であった13万円もする、
ワープロ機器を思い切って購入投資しました。
すぐに、その効果を実感することとなり、新機種発売と
同時に買い替えを行い、自宅で各種挨拶状などの資料作りに駆使し、
自己への投資が還元される事を、肌で感じる事が出来ました。

 

翌年には、念願であった最高優績者に選任され表彰を受け、
計画通り輝くバッチを胸に付けることができました。

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