「四国八十八カ所 第17番~20番札所」

2008年12月22日

発心の道場(1番~23番) 阿波国 徳島県

 
12月17日は「ばり馬祇園西原店」のオープン日。

17~18日は経営者研修に参加した福岡博多出張。

そのまま当日夜は社員採用会社説明会で講和と面接を終え、
昨19日は「ばり馬宮内店」がオープンしました。
今週はバタバタと業務が重なり、20日は早朝4時に起きて、
妻の寝顔を傍らにメールの確認と指示を出し、時間ギリギリで
妻の運転する愛車で自宅を飛び出し、ツアーバスに滑り込み
四国お遍路となりました。

 

第17番 井戸寺

門から見ると、たくさんの堂宇が並んでいます。
そのひとつ、日限大師のお堂には、弘法大師がこの地を
訪れたとき、濁水で困っている人々の救済のために、掘ったという
井戸が残っています。

私達夫婦は先達さんの説明を聞いて早速覗き込みました。
かなり深い井戸です。

「なるほど、だから井戸寺という命名になったのか・・・」
納得です。

井戸寺までは瀬戸大橋から遠路までのお寺であり、
時間は昼を迎え、近所のお店でお昼ご飯となりました。
大きな和風レストランの2階でランチとなりました。

徳島名物の「たらいうどん」を食べました。
木製のたらいに、熱いさぬきうどんが盛り付けられ、
つゆにネギと生姜を入れて食べます。
稲荷寿司3個とミニ野菜サラダが付いておりました。うどんの
量がたくさんあり、稲荷寿司2個はパックに入れてテイクアウト
としました。
とても美味しくいただきました。

店の内装そして外装は、私達の店作りにもとても参考となる
店作りであり、携帯カメラに多く収めました
(経営者はどこに行っても、事業のことが頭から離れません)

売店で、名物の黒きなこ餅と金時芋菓子を買ってバスに乗り込みました。

家内の母親へのお土産です。
お腹いっぱいになりご馳走様でした 合掌。

第18番 恩山寺

もともとこのお寺は、女人禁制の寺であった。
開基より100年ほどのち、大師がこの地で修行をしていた際に、
母君が讃岐からやってきて大師に会おうとした。
しかし、寺は女人禁制であるためかなわない。そこで大師は、
7日間にわたって女人禁制の秘法を行い、ついに成就して
母を迎え入れ孝行をしたという。そして、この時山号と
寺号を母養山恩山寺と定めた。

御詠歌「子を産めるその父母の恩山寺、訪いがたきことはあらじな」

第19番 立江寺

数々の悪業と不貞を働いたお京という女性が、相手の
人と四国巡礼に出ますが、この立江寺で天罰を受けます。
その償いのために、ここで庵を結んだとされています。

立江寺は四国に4箇所ある関所寺のひとつです。罪深い遍路は、
改心しないと通れないといわれています。

本堂入り口にぶら下がる鈴緒は、直径50cmほどで、
かなりの重量感を感じさせるものです。昔、このお寺の鈴緒に
お京さんの黒髪が逆立ち巻きついたといわれています。
先達さんの説明から、何か怨念や霊感の不気味さを感じさせる
お寺でした。
第20番 鶴林寺

バスを降りて鶴林寺までは、かなり急勾配のある坂を
10分以上登ります。日頃の運動不足により、下半身はフラフラです。

大師がこの地で修行中、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる
老杉に舞い降りては、小さな黄金の地蔵菩薩を守護しているのを見た。

大師はすぐに3尺の地蔵菩薩を彫り、その胸の部分に黄金の
地蔵菩薩を納めて本尊としたという。

本堂の両脇には、伝説の大きな像がある白鶴の鶴林寺が
地元の人に「お鶴さん」の愛称で親しまれている理由に納得です。
12月中旬のお遍路は、お寺の参道や小道の傍らには、
すっかりと紅葉を終えた落ち葉がたくさん積み重なっておりました。
樹木は既に冬支度を始めており、晩秋の面影を残しながら
長い冬を迎える覚悟が見えました。

帰路のバス社内では、小腹の空いた私達は、ランチで
持ち帰った稲荷寿司を頬張りました。
甘酸っぱい美味しさが疲れた身体を癒してくれました。
四国お遍路のお蔭様で、四季の変遷を感じることができることの幸せに、心より感謝します。
                                     合掌
 

「四国八十八カ所 第12番~16番札所」

2008年11月29日

発心の道場(1番~23番) 阿波国 徳島県

先日11月25~27日までの3日間は、社員旅行で
神戸・大阪・京都の3都巡りを行い、楽しい想い出を詰めて
帰宅したばかりですが、一日置いた29日は3回目の四国お遍路日と
なりました。
昨夜は旅行留守中に溜まっていた業務で深夜遅くまで忙殺され、
早朝より激しく鳴り響く目覚まし時計に、覚醒していない
重い身体を炊きつけられた夫婦は、四国行きのツアーバスに
乗り込みました。

日頃の行いが良いのか今回も早朝より絶好の晴天に恵まれました。

第13番 大日寺

瀬戸大橋を渡り、徳島市内に入って最初の札所である
「大日寺」を、12番札所より先に御参りします。
境内には、しあわせ観音や、水子地蔵、子安地蔵尊などが
祀られています。

納経所前に、県指定の「小賀玉」という珍しい木があります。
秋には赤い実がなり、これを巫女が神殿で奉納舞のときに持つ
鈴に似ていることから、呼び名になったようです。

 

12番の焼山寺に参拝する前に、山の細道に位置し長い歴史を
感じさせる古家の「田中食堂」で昼食をとりました。
山間にある田舎の食堂で、四国の手作りうどんと、
手作り感がそのまま味に染み出ている「うどんだし」がとても
美味で、昔私の母親が作ってくれた手作りうどんを思いださせる
懐かしい味でした。田舎寿司も酢がよく効いてとても美味しくいただきました。

店頭で販売されていました、手作りの「すだちとゆずの合わせ酢」
2本と、「天然ゆず味噌」「徳島名産の金時芋」を購入しました。
田舎の手作りお土産は、都会のスーパーでは求めることが難しい、
愛情のこもった温かみのある本物の味です。
ゆす酢1本と金時芋は、家内の母親へのお土産です。
大変ご馳走様でした、合掌。
 

第12番 焼山寺

 
田中食堂から焼山寺まで、山あり谷ありの険しい急坂を歩けば
6時間程度かかることから、山道をマイクロバスに乗り10分程度で
山頂に登りました。そこから歩いて8分程度で到着です。

 

焼山寺への参道からは、四国の山並みが幾重にも見えます。
仁王門周辺には、多くの巨大杉が林立して、ひんやりとした霊気が
流れていました。巨大な杉は大人が手を繋いで4~5名は必要な
大きさでしょうか。今回の巡礼で一番印象に残ったお寺です。

 
第14番 常楽寺

石段を上っていくと、起伏のある岩の上に境内が広がり、
堂宇が見えてきます。正面に本堂、その右に大師堂。
左には同行大師像とりっぱな無縁塔がありました。
「まつり人のない霊さまをおがんであげてください」と書いた
立て札が添えてあります。

境内にむき出した自然石の庭園があります。時をへて、風雨に
侵食された跡が、優美なひだ状に広がっています。線香の煙が
境内から岩間を絶え間なく流れていく・・・。


第15番 国分寺

聖武天皇の勅旨で全国に建立された官立寺院のひとつです。
七重の塔を建てたときの大きな礎石がまだ残っていて、当時の
寺の繁栄がしのばれます。

御詠歌・・・薄く濃くわけわけ色を染めぬれば流転生死の秋の紅葉ば


第16番 観音寺

国分寺から観音寺へは、のどかな田園地帯を行きます。
寺に近づくと、商店が軒を連ねる門前町の風情へと変わります。
到着すると時刻は既に16時40分を回っていたので、ろうそくと
線香を立てることができなく、納札を納札箱におさめ、お賽銭を
あげて読経だけで終えました。全てのお寺は17時で閉門となります
ので、ギリギリの滑り込みでした。
*今回のお遍路は11月下旬という時節柄、徳島県山間を巡りながら、
絶景の紅葉狩りを一緒に楽しむ、贅沢なお遍路となりました。
境内やお寺参道の樹木には、もみじやイチョウが、
赤や黄色に染まり、木々は晩秋からの冬支度を終えようとして
おりました。

田中食堂でいただいた昼食の「田舎うどん」は、決して高級料亭では
味わえない、母親を思い出させる最高の贅沢をさせていただきました。

18時を回った車窓からは、陽が落ちた町並みを月明かりが遠慮しながら、照らしておりました。

最高の景色に、そして皆様に感謝、感謝、感謝!
                                合掌

わたしの生い立ち~サラリーマン時代1~

2008年11月20日

(人生の転機)


勤務先は広島市南区に位置する普通郵便局、
宇品郵便局郵便課に属していた私は、勤務職種変更希望として、
郵便貯金課内勤職を提出しておりました。
(銀行マンの勤務イメージで)
ある日突然、課長より職種異動の話があり

「このたび突然の話ではあるが、保険課で退職者があるので、
江口君は保険課外勤への異動はどうですか」

寝耳に水であったが、一両日検討の末、保険課外務職への
異動を承諾した。郵政職員入社1年目でした。

 

それまで、生命保険の営業外交については皆無の知識で、
考えたことも興味も全く無い職種でしたが、一度自身を試す
意味で営業の仕事に挑戦してみようと安易に決意しました。

事前の説明では

「主な業務内容は、一軒々各家庭等を訪問し保険料を集金し、
簡易生命保険のセールスを行うこと」

一見簡単そうに見える業務内容でした。

 

今振り返ると、保険課への異動が、私の人生最大の転機であり
商機となった決断であったのです。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代2~

2008年11月3日

(簡保セールスマン誕生)


不定期の異動により、同じ局舎内2階の保険課に
異動となりました。
午前8時30分、初めて保険課の朝礼に参加し、
今までの緊張感の無い郵便課の朝礼に慣れていた私は、
全く違う規律と緊張感ある職場を目の当たりにし、
身体の中に衝撃が走りました。

そして、上位役職課長席の頭上部には、営業担当者の
フルネームが保険獲得成績順に整列され並んでおりました。
瞬間的に、高校時代英語の鍛冶先生からテスト成績表を
高得点者から返していた光景が脳裏を走りました。
私の中で完全に消滅しかけていた数値に対する執念闘士が
呼び覚まされる鼓動が聞こえました。
そうして、簡保生保のセールスマンとしてスタートしました。
毎日の朝礼終礼時には、当日高実績者の氏名が呼ばれ、
皆の前で拍手で報労品を受けとります。

その光景はもやは英語の授業にタイムスリップし、
私の心はヒートアップし、完全にスイッチが入りました。

 

毎晩自宅で約款など周辺知識の習得に懸命に努めました。
配属当初は集金業務から初め、成績の良い職員は、
2年後位にはセールス専門の募集専務に昇格となります。

そして私は1か月目より数件の契約獲得に成功し中位の成績を挙げ、
3か月目には上位に入る成績を挙げ、
短期間で異例のセールス専門の募集専務に就きました。
毎日、他の職員の前で報労授与されることを目標に懸命に
頑張りました。

 

その後、保険募集契約高により、外交募集手当が付与される
ことを知り、好成績者には、成果に応じてかなりの外交報酬が
あることが分かり、私のスイッチは更にバシッと強固になりました。
当時は中国郵政(5県下)管内で保険セールスに従事する職員は、
約3,000人おりました。
配属2年までの新任職員で優秀成績を収めた職員には、
新人優績賞が授与されることを聞かされ、当面の目標とし
頑張り翌年新人賞を獲得し、その優績会議参加において、
管内の最高優績者の方との交流の場をもつことができ、
学びと同時に更なる大きな感化を受けました。

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