「四国八十八カ所 第60番~64番札所」
2009年6月15日
2009年6月6日 お遍路の旅
本日お遍路の前日である6月5日の夜は、神戸からのお客様との懇親会として開発部社員を含めて5名で市内繁華街飲食店の宴席を設け、その後スナックにて水割りで楽しく懇談し、調子に乗りすぎたお陰で、帰宅が深夜におよび寝不足で遍路の参加となりました。
家内の運転する助手席で揺られながらウトウト・・・。
第60番 横峰寺(よこみねじ)
横峰時は、西日本最高峰の石鎚山(1982メートル)の中腹、標高700メートルのところにあります。四国霊場中、3番目に高いところにあります。急斜面のつづく難所のひとつですが、深山の空気を吸いながら登っていくと、山ふところにいだかれるという言葉がぴったりでした。
斜面に大師堂と向かい合って建つ本堂。標高700メートルから雲海越しに見える西条市街は壮大でした。
広い駐車場でバスを降り、そこから山頂にある横峰寺まで、マイクロバスに乗り換えます。狭い山の傾斜を蛇の様にクネクネした細い長い道路を20分程走ります。昨夜寝不足の影響でしょうか、激しい車の揺れに少し酔ってしまい気分が悪く、身体はヘロヘロになりました。小さな売店前の広場でマイクロバスを降りてからは、今度は徒歩となりますが、お寺まで行きは長い坂道を下りますが、帰りは長い上り坂で、非常にきつく「ゼエゼエ!」息が切れ、足のふくらはぎはガクガクとなりましたが、妻は余り辛そうな顔をしていない様子です。
第64番 前神寺(まえがみじ)
交通事情を考慮し、順路を変更し61番よりも先に64番へ回ることとなりました。
到着時刻はお昼12時を少し回っており、境内では別の団体お遍路30名位の方が、木陰でお花見の様に、皆で囲んで弁当を開いておられました。日差しが眩しく汗ばむほどの暑さになってまいりました。
御詠歌「前は神、うしろは仏ごくらくのよろづの罪をくだくいしづち」にあるように、このお寺は石鎚山と深い関係にあります。
極泉橋を渡り石段を登り、金毘羅大権現、十三仏の前を通って浄土橋を渡ると、本堂の手前に「お滝不動」があります。
投げた一円玉が貼り付けば大願成就するとの言い伝えがあります。多くの参拝者の方々もそれぞれ一円玉を投げ写真を撮っておられ、私も力一杯に一円玉を投げましたが、岩肌には貼りつきませんでしたが、上手く岩の上に載りました。
~ 昼食 ~ りんりんパーク
冷ざるうどん・握り寿司・茶碗蒸し・小鉢・・・感謝し大変ご馳走様でした。
広い見事な庭園には、大きな池があり、たくさんの錦鯉や野鯉がゆっくりと楽しそうに泳いでいました。
売店では地元の新鮮野菜が安価で売られており、家内は「金時芋」と「いよかん」を買いました。
第61番 香園寺(こうおんじ)
これまでのお寺は全て木造ですが、香園時は今までのお寺とは全く異なり、鉄筋造りの2階建近代建築で、大きなお寺です。
大聖堂の外にある、ロウソク線香立ては円筒状で周囲360℃どこからでも、ロウソクと線香を立てることができる様になっております。
大聖堂の左には立派な納経所が構えてあります。建物左側階段を2階に昇り、スリッパに履き替えて御参りします。2階には薄暗い本堂、大師堂があり、備え付けの椅子が設置されており、遍路さんは椅子に座ってお経を唱えます。収め札もお賽銭も全て2階の堂内です。1階は講堂となっています。
これまでの御参りでは全て起立してお経をあげましたが、今回初めて椅子に座って般若心経を唱えました。堂内には、大きな眩しい黄金色の「大日如来像」が優しくまぶしい光を放っていました。
第62番 宝寿寺(ほうじゅじ)
寺の入り口右側には、「一国一宮別当宝寿寺」と書いた大きな石柱が立ち、左には古い石標が4基並んでいました。
境内には、枯山水の庭園と落ち着いた佇まいの堂宇があります。
手水の右奥には、お寺には珍しい稲荷社があり、たくさんのキツネが祀ってありました。
本堂には、十一面観音像が安置されています。
第63番 吉祥寺(きちじょうじ)
本堂前には、高さ1メートル、下方に穴のあいた成就石がおかれています。目をつぶり金鋼杖を前に出し穴に入れば願いが成就すると言われています。
修行大師の左隣には、くぐり吉祥天があり、又をくぐると願いが叶うそうです。早速夫婦で又くぐり、合掌しました。
本堂と大師堂は回廊で結ばれていました。
本日最後の御参り「般若心経」のお経を勤めさせていただき、五か寺を無事御参りし、しっかりと祈願させていただきました。
もうすぐ17時を迎えようとしておりましたが、6月に入り、太陽はまだ高い位置から私達を見下ろしていました。
来島海峡を渡るバスの車窓からは眩しいほどに、海が銀色に輝いていました。
魚船や大きな船の往来から生まれる波が遠くに消えていく様に夕陽が写る絵画は、お遍路を終えた、私には何と至福の贅沢です。
本日も無事に御参りできました 感謝合掌!
カテゴリ:心の修行・四国のお遍路の旅日記
5月30日「四国八十八カ所 第54番~59番札所」
2009年6月1日
5月は弊社WLの新年度の月にあたり、今月26~27日1泊にて行なわれました「中期経営方針会議」の資料作成に、毎週末には自宅で経営戦略方針を考案策定しておりましたので、お遍路の参加が出来なかったので、1か月振りのお遍路参加となりました。中期経営会議終了のお土産となった肩凝りをお供に、重い身体にムチを打ち・・・出発となりました。
第54番 延命寺(えんめいじ)
ここのお寺は、以前は「近見山円明寺」と命名されていましたが、隣の第53番札所「円明寺」と似た名前だったため、郵便物が間違って届くなどのトラブルから、「延命寺」に改称された様子です。先達さんによると、瀬戸内しまなみ近くを走る延命寺の北側に近見山があり、展望台から来島海峡大橋が良く見えるそうです。
仁王門、山門をくぐり手水場の右側奥に「近見二郎」の愛称で知られている吊鐘があります。鐘の四面に寺や周辺の歴史が刻まれた貴重品のため、戦争中も軍用供出を免れたそうです。今では、大みそかの除夜の鐘で使われています。
仁王門を出て帰り道の傍らに、ライトバンを留めて自家製アイスクリーム販売の方が目に入りましたので、1個アイスを買い食べながらバスに向かいました。
あっさりとした、手作り感のある懐かしい家庭の味を感じることができました。
第55番 南光坊(なんこうぼう)
霊場中「坊」がつくのはここのみです。
手水の左奥側には、宿坊があり、右には金比羅堂があります。
隣接には宮別「大山祇神社」があり信仰の場として親しまれているのが分かります。
本堂前に松尾芭蕉の句碑 「ものいえば唇寒し秋の風」 とありました。
ここは他にも8基、「俳句の碑」があることも知りました。
霊場を行くお遍路さんの中には、一句ひねりながらの方もいらっしゃるのでしょうか。
第56番 泰山寺(たいさんじ)
駐車場から徒歩3分で到着しました。山門はありませんが、入り口の石段を上がると、正面が宿坊、右に納経所、左に本堂があります。
本堂はいつでも参拝できる様に、いつも戸が開いているそうです。壮厳な雰囲気の本堂です。
正目には、歴史を感じさせる木製の古い「地蔵車」が飾られておりました。
昔のTV番組時代劇で大吾朗という子供が乗っていた風の木製の押し車です。
大師堂の前庭に、人なつっこさそうな、白い犬が2匹お出迎えしてくれ、少し癒されました。
~ 昼食 ~
昼食は車で20分程度走り、今治市内の観光客用らしい大型レストランです。
食事作法・・・「一滴の水にも天地の恵みを感じ、一粒の米にも万民の労苦を思い、ありがたく、いただきます」 感謝の心で合掌「いただきます」
幕の内お弁当が用意され、小さなお椀にはあっさりとしたうどんが付いており、感謝して美味しくいただきました「ご馳走様でした」
今治は、タオルの生産が有名なところで、2階のフロアーには、色々なタオルが多数販売されておりました。小さいポケットタイプ、アニメキャラクターのタオル、大型バスタオルなど多種多様のタオルが販売されておりました。
私達夫婦も今治の記念としてタオルを2枚購入しました。毎度のことですが趣味を同じにする仲良し夫婦は、暗黙の呼吸で「猫がデザインされたタオル」をGETで決まりです(お土産の大半は猫関係のグッズです・・・猫に関してはグッズでも直ぐに異常反応する困った夫婦)
第57番 栄福寺(えいふくじ)
山門をくぐると直ぐに左側に大きな修行大師が蒼然と立ち、その横に「お願い地蔵尊」が迎えてくれました。
本堂の回廊には、箱車やギプス、杖などが奉納されています。これは、少年のお遍路さんがここまでたどり着き、歩けるようになった記念の品だとか。
大師堂外観の長押には、干支が隠し彫りされていますが、どうしても十二支を見ることができませんでした。
納経所の売店で、このお寺で有名な「千枚通し」を買いました(シャレではないですが、1000円)
第58番 仙遊寺(せんゆうじ)
バス駐車場からの沿道に、重たそうに沢山のつぼみを抱えたアジサイの花が、満開を待ち遠そうに迎えてくれました。
大師堂の左奥側には、大きな「修行大師像」が建立され、像の周囲はぐるりと1周する様に八十八箇所全てが記載されてある踏石となっておりまず。
大きなシャクナゲの花、イチョウの木が大師堂を見守っている様でした。
広い庭には「慈悲観音」供養塔があり、その横にある鐘桜では、一人旅の遍路さんが、お弁当を取っておりました(大変ご苦労様です)
帰り道では、さっぱりとした柚子ジュースのお接待をいただきました(ご馳走様でした)
第59番 国分寺(こくぶんじ)
奈良時代、各地に七十寺建立されたという国分寺ですが多くは衰退したそうです。
四国各県では、札所として残っています。
手水の後ろに、とくとく弁財天、右側には薬師如来壷がありました。
線香立ては、本堂と大師堂兼用という珍しいものでした。
本堂と大師堂の間には、金比羅権現が祭られています。
明るい境内には樹齢300年以上ある、それはみごとな江戸桜が植えてあります。
本日最後のお経「般若心経」もしっかりと勤めさせていただき、家内安全、企業繁栄、社員の成長と幸福成就を六か寺で御参りしました。
帰り際、勅使門の扁額に目が留まりました。「西山精舎」とある文字は、お大師さんの直筆と伝えられており、祈りのこもった文字にみえました。
合掌~礼拝。
これまでのお遍路では、夫婦で御参りするのだから、なるべく必要な荷物は一人でまとめ手分けして持参する方が良いだろうという思いから、御参りする再に御札箱に入れる御札は家内の分も私が持参し、御参りの都度家内に渡し、お賽銭は家内から御参りの都度私が頂いておりましたが、今回よりそれぞれで持参する様に変更してみましたら、その方が手際も段取りも良くなりました。ローソクとお線香、ライターは、まとめて一人が持参する方がよさそうなので、今まで通り私がまとめて持参することとしました。
バスを走らせ30分程で休憩場所「来島海峡PA」に到着です。
最後のお土産場で、お母様から頼まれていた、金時芋と「生うどん」を購入し帰路に向かいました。
無事六か寺の御参りを済ませ、車内で先達さんの先行で本日のお勤めを終えて、すがすがしさを憶えました。
次回はいよいよ、60番札からとなり残り29か寺となります。
これからは、誰にも邪魔されない車内で私の時間「読書」の世界を楽しみます。
本日の出会いに感謝 合掌
カテゴリ:心の修行・四国のお遍路の旅日記
2009年4月26日 お遍路の旅
2009年4月30日
昨夜からの降り注ぐ冷たい雨が、今朝になってもまだやまず、小粒の春雨となって落ちておりました。
4月の下旬に入り、3月に戻る様な少しい肌寒さを憶える晩冬の1週間でした。今回のお遍路は、以前より家内の母親と一緒に御参りできることを楽しみにしておりましたが、体調が思わしくないので残念ながら諦めることとなりました。3名のバス予約をしておりましたので、今回のお遍路は、お遍路初体験の順爾(私の次男)を誘っての親子3名で6か寺を巡ることとなりました。
家内の愛情がたっぷりと詰まった、「海苔おにぎり」を抱えて、冷たい春雨の中を元気に G0!
第53番 円明寺(えんみょうじ)
前回のお遍路では、行く先々で「桜」の満開が咲きほこっており、ソメイヨシノによる春爛漫を満喫しましたが、今回は三~五分咲きの「ツツジ」がお出迎えで、またまた季節の変遷を感じることができます。草花は裏切ることなく正直に、季節をそのまま連れてまいります。
私達を迎えて包みこむ「ツツジ」に感謝します。
大師堂の左奥には、十字架の形をした石灯篭がひっそりと立っています。マリア観音のように見え、先達さんからは「隠れキリシタン」信仰に使われていたと聞きました。
キリシタン石塔がある境内です。
順爾は、初めてのお遍路の作法に戸惑いながら、ろうそくに火を灯し、線香に火を灯したりと、慣れない手つきと作法で慌しく私の指示についてきておりました。
お接待に「あられ菓子」と「ヤクルト」をいただきました。 お接待に感謝合掌!
第52番 太山寺(たいさんじ)
山門をくぐりすぐ左に「ミツバチ」が大きな巣を作っており、たくさんのハチが舞っておりました。
立て札には「ミツバチに注意」とありました。刺された人もいるそうです。
本堂右手にある鐘桜堂の壁面には、3枚の「地獄極楽寺絵図」が描かれています。
地獄と極楽の間にある絵には、閻魔大王が人間の生前の善悪を審判しています。下には三途の川、地獄絵を覗き込む鬼の彫刻もあり、つい自分を振り返ってしまいました。「嘘をついたら、閻魔さんに舌を抜かれる」と子供の私に言った母の声も聞こえてきました。
今になってやっと、その意味が少しは理解できそうです。
国宝の本殿は威風ある姿に鎌倉様式の建築美を感じることができます。
大きな屋根の向こうには、のどかな松山の町並みが遠くまで広がっておりました。
境内には「ツツジ」が綺麗に色を放ち、心を癒してくれました。
~ 昼食 ~
本日の昼食は「民芸伊予かすり」の大きな老舗レストランです。
玄関をくぐると、右奥に人力車が2台並ぶレトロ感が「かすり」の歴史と老舗を感じさせます。
食事作法・・・「一滴の水にも天地の恵みを感じ、一粒の米にも万民の労苦を思い、ありがたく、いただきます」 感謝の心で合掌「いただきます」
卓上のガスコンロには、味噌汁の鍋がセットされており、熱々の味噌汁をいただきました。炊き込みご飯は、保温ジャーにお替りできる様にとセットしてあり、私は少しだけお替りしました「ご馳走様でした」
店外には、お土産売り場が並んでおり、先達さんが「ここの塩ソフトは本当においしいですよ」の誘惑に負けて、伯方の塩ソフト250円を美味しくいただきました。
順爾は、八十八箇所の全図が描かれている「お遍路マップタオル」をGET。
第48番 西林寺(さいりんじ)
境内の西南150メートルほどの場所にある杖の淵は、大師の伝説があります。日照りに苦しむ人のために、大師が地に杖を突き立て一心に祈願すると、清水が湧き出て泉となり、人々の困苦を救った。この淵の水は「名水百選」に選ばれています。
大師堂が新築されており、木柱や木壁が新しく、明るく白っぽい色をしておりました。
境内には、非常に多くの参拝者が溢れ、線香をあげ、お経をあげるのに待ち時間が必要でした
第49番 浄土寺(じょうどじ)
住宅街の細道を歩いていると、急に仁王門にたどり着きます。下から見上げると、大きく羽を広げたような形です。仁王像には、虫食いもありますが、長い間遍路を見守ってきた自負に満ちた顔つきで、力強いエネルギーを感じました。2体の仁王像から寺を守る気迫が伝わってまいりました。
また、春風が強くなり、風の吹き荒れる音に竹の葉ずれもみられ、風情を感じました。
第50番 繁多寺(さんたじ)
大師堂には、お大師さんの木像が祀ってありました。
その像にやわらかなオレンジ色の斜光が当たり、大師の厳しさ、あたたかさが感じられた瞬間でした。
広い境内は公園の広場を感じさせます。
池も非常に大きなもので雄姿を描いております。
第51番 石手寺(いしてじ)
門前の洗い石という石橋の横には、衛門三郎がひざまずいた像が建っています。衛門三郎は亡くなる直前、大師に許され、彼の名を書いた石を握らされます。
その石を、道後の豪族の長男が握って生まれたことが、寺名の由来であると聞きました。
ここから、絵馬堂にもなっている回廊形式の参道を歩きます。
道なりに、仏具、やきもち、土産品などを売る店が並び、まるで縁日にでも来た気分になりました。
仁王門には両脇に4メートルの「大きなわらじ」がかかっており、金鋼力士像前にもたくさんのわらじが奉納されています。
順爾はデジカメのアングル探しがいそがしそうです。
本日最後の御参りで、癒しのご褒美をいただきました。
疲れた私達を一番癒してくれるご褒美・・・そうです「猫チャン」しかありません。
喉の乾いた夫婦に、オアシスの湧き水の如く「わ~ 猫チャンがいる~」
やはりこの夫婦は猫に関しては異常な反応を示します。自宅に猫5匹と同居しているのにもかかわらず、猫が好きなのです。順爾も呆れ顔をしていますが、彼も大の猫好きです。
今回の先達さんは、前回同様の山中先達さんでした。とても親切に作法なども教えていただき勉強になります。
「般若心経」に順爾も少し慣れた様子で、最後のお経を無事終え 祈願~合掌~礼拝。
1時間余りで帰路「来島海峡PA」に到着、休憩です。
前回の3月は、陽が水平線に沈みかけようとしておりましたが、4月下旬になり、まだ陽は高い位置にあり、1か月余りで日の長さを感じました。
今回も、お母様と我が家の土産に讃岐「生うどん」を購入し、しまなみ海道を渡り帰路となります。先月より、週末の高速道路料金は1000円を上限となりましたが、本日のしまなみ海道大橋の交通量は、いつもより少し多い程度で、大きな混雑は見られませんでした。
無事に六か寺の御参りを済ませ、少し疲れた身体を横たえた車窓から眺める景色に、心地良い心の安らぎが訪れました。
これからの2時間は、バスを活用して邪魔をされない「読書」ができる幸福に感謝です。
順爾も私の横の座で、難しそうな読書をしておりました。
家内は心地良さそうにバスの波に身をまかせ、優しい笑顔で、猫達に囲まれた夢の世界の続きを旅しているのでしょうか。
無事お遍路を終え感謝 合掌
カテゴリ:心の修行・四国のお遍路の旅日記
わたしの生い立ち~幼少期1~
2009年4月7日
「生い立ち」
私は、昭和28年12月27日、慌しい年の瀬に、
広島市中区舟入南町の自宅で、姉二人をもつ末っ子長男として
産声を上げました。
歳春という名前には納得できます。
生家は広めの住居敷地内の玄関先に大衆食堂を開き、
中央に大きな鉄板を設けておりました。
そこから土間を経て奥側を自宅とし大きなかまどが並んでありました。
引き戸を開け少し離れて独身者用の下宿アパートを数棟設けており
数名の若い男性が居住していたと思います。
私の幼い記憶では、母親は朝から夜遅くまでお店で
お酒を出したり、裏庭でお酒を作ったり(当時は濁酒)、
下宿人の食事の支度をしたり、一日中働いていた光景が
ぼんやりと残っておりますが、何故か父親が働いていた
姿は記憶にありません。
父親は、いつも居間で昼間から友人と賭け囲碁をやっており、
時には外泊したりと放漫な父親だった様子です。
私は父親から叱られた記憶がありませんが、母親は大変苦労
させられた様子でした。
母親が忙しかったせいもあり、長男として生まれた私は、
年配のお手伝いさんから、かわいがられたことを憶えております。
「両親の離婚」
私が小学校入学前に両親は離婚しました。
離婚理由は分りませんが、子供心に父親の賭け事と
女性関係のトラブルが原因と察しておりました。
離婚後は、母親と姉と私の4名の生活となり、母親は
女一人で子供3人を養うこととなり、私たちは貧乏生活を
強いられました。
母親は一人でカウンター席のみの小さな食堂を経営し、
私達家族は、店の近くの狭くて安アパート住まいとなり、
生活は一変しました。
その食堂は本川の傍にあることから
「かっぱ食堂」 と名づけておりました。
お店の営業に際し、初めて電気冷蔵庫を開けて感動したことは
今でも鮮明に覚えております。
小学1年生の家庭訪問で「担任の沖先生」が食堂にやって来て、
母親がカウンター越しにビールを注ぎ、先生が旨そうに飲んで
いたことを傍で見ていたことを今でも憶えております。
狭いアパートは、家賃も安いため、陽も余りあたらず昼間でも
薄暗く、昼間でも電気を点灯しなけばならない部屋でした。
狭い台所と一部屋に、冬は家族4人で寄り添って、やぐらコタツに
足をぶつけながら質素に暮らしておりました。
続く…
カテゴリ:わたしの生い立ち『幼少時~現在』
