わたしの生い立ち『幼少時~現在』 記事一覧

わたしの生い立ち~サラリーマン時代4~

2008年11月2日

(借金が糧に)

 
保険課に異動となり4年を過ぎた頃には、
職場仲間と仕事帰りの飲み会も増えており、夜の流川ネオン街で
カラオケを歌う機会も増えました。

保険セールスの仕事は、毎日、毎月、一年間、気を抜くことなく
数字を追い続ける仕事であり、節目での飲み会や祝宴を多く持ちます。
深夜まで営業談義することも、連日連夜で、深夜の帰宅も多く
なり、いわゆる母子家庭並みの家庭でしたが、これは理解ある最高の
家内をもったお陰でした。
その頃の私の収入は、成績の向上に比例し高収入を得ており、
結婚4年目にして、マイホームを3回引越しました。
初めて購入した全額ローンの住宅は、土地23坪の
小さな建売住宅(720万円)でしたが1年住んで直ぐに売却し、
土地35坪の建売住宅(1150万円)に引越ししました。

もっと大きな家に住みたいので、そこも2年余りで売却し、
土地70坪の広い庭付き住宅(1700万円)に引越ししました。

常に夢を追い求めたのです。
車も車検を受けることなく買い替えをしました。
成績を上げるために、自分を追い込むために、
<strong>あえて大きな借金を作っていた背景もありました。</strong>
今考えると非常に危険な冒険ですが、若さゆえのチャレンジでした。

その頃職場では、私は引越しマニアと呼ばれていました。
年収は同期の職員の2倍以上に増加していました。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代5~

2008年11月1日

(更なる高みの目標)

これまで以上の高みの目標設定を掲げることにより、
自身の枠を超え新たな知恵の醸成により、未体験の目標が達成され、
人間には無限の可能性があることを実感し始めておりました。

「もっと自分を追い込んで高い成績に挑戦したい」

もっと皆から憧れる存在として
「中国館内に江口歳春という名前を知らない職員はいない位の成績を挙げたい」

・・・・今になって振り返ると、自己成績目標や我欲というよりも、
人から認められ、より高い存在感や優越感を得ることの目標に
変化していた様に思います。

次なる目標は管内3000名中で、成績10位以内を掲げておりましたが、
それは、当時の私にとっては、とてつもなく高く険しい未知の世界
でした。

毎月保険料1万円のお客様を毎日最低3名程度獲得しなければ達成
できない、当時の私には極めて難題でした。

今までの様に、昼ごはんを抜いたり、時間との勝負だけでは限界があり、
時間を2倍に生かすアイデア知恵が鍵を握ることに気づいておりました。

どうすれば、今の成績を短期間で、もっと飛躍的に伸ばすことができるかを、毎日々考え抜きました。 
多くのセールス書を読破し、可能性のあることは、貪欲に真似て取り入れました。
契約いただいた全てのお客様をリスト化し、
「誕生日おめでとう」の葉書を投函しました。

顧客契約件数は数千件もあり、毎晩、誕生日の葉書やお礼状を書いて
おりました。

そして、訪問による面談時間の効率を高めるために、訪問する宅を
事前に見込み客カードとして作成し、訪問3日前には、
封書による事前の訪問挨拶状を郵送してからの計画訪問を実施
しました。時間の効率化を図ることと、顧客との関係パイプを太く
することに務め、成績は少しづつ向上しましたが、管内トップを目指し「もっと上に」を自身に課しました。
年齢も32歳になり、知識経験も蓄積され心身ともに充実した期を
迎えようとしておりました。

就寝前の日記帳には強い決意が綴られる毎日でした。
アメリカのフランクべトガー著者
「私はどうして販売外交に成功したか」
これ程、当時の私に衝撃を与えた書物はありませんでした。

今でも私の人生に多大な影響を及ぼした、最良の人生成功書籍と
思っており、出会いに感謝しかありません。

人を動かす最大条件と契約締結のテクニカルについて書いて
ありました。

人は人や何かの出会いで人生が変わることができるものです。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代6~

2008年10月25日

(知恵は無限)

やがて私は、過去のやり方と画一的に差別化された話法や手法を
開拓し、自身の糧として会得しました。

これまでの郵便局簡保のお客様の大半は、一般家庭の個人契約が
メインであり他には法人契約があり、役員対象法人契約においては、
高額契約に綱がることが多く、私の訪問先は個人から法人に少しづつシフトしておりました。

次男出産の記念すべき3月31日に、中区の企業先から獲得した
最高額の役員7件の契約締結した際の、飛び上がるほどの嬉しさは、
死ぬまで忘れることは無いでしょう。

更なる大口契約締結に向けた研究を行い、これまでには実現
できなかった一度に複数の大口契約を可能とする企業経営
リスクヘッジを可能とする契約話法を会得しました。

法人税法の書物を読み、週末は自費により経理学院に通い、
隠密で東京の優績者にお願いし同行指導も行いました。
当時の管内上位優績者の月間成績は、月掛保険料で約60~80万程度
でしたが、私の第一号の法人契約は建設業企業1社様からの契約で、
月掛金100万となり、法人先の契約では管内では過去最高契約高でした。

その後、多種業種企業先を訪問し、大口契約を重ねていきました。
もっと効率を上げるために、事前電話アポ訪問による公衆電話では
移動時間ロスが発生するため、携帯電話セルラーホンをレンタル契約し
(当時の通話料は3秒10円と破格)、時間の最大有効活用を図り、
運転移動しながら車内から携帯電話で次のアポを取り、
木陰の車内で冷たい弁当を流し込み、できる全ての方法を投入しました。

自身の思い次第で

「知恵は無限大」

であることを学びました。
寒い冬の氷雨を突いて辛さと戦い、灼熱の夏には革靴から湯気が
でたり、全速で赤バイクで走り回りました。

特に春の花粉症の時期には、身体はグジャグジャ、ボロボロでした。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代7~

2008年8月28日

(新聞掲載、TV出演)

遂に、念願であった中国館内のトップである1位に昇りました。

本省で郵政大臣より優績表彰状も授与いただき、
中国新聞にも高成績契約の郵政簡保職員として掲載されました
(高成績の影に内助の功として、夫婦の協力による成果として掲載)。

12月には、主婦向けのTV番組に、冬季賞与活用法特集として、
保険活用による資産形成を15分間出演しました。

TV初出演の生番組でしたが、何故か落ち着いて、放送を楽しんで
いた自分がありました。

本当に皆様方のお陰様で、多くの栄誉ある体験をさせていただく機会をいただき、感謝感謝でした。

(最高優績者交友会会長)

管内最年少の33歳で、最高優績者中国交友会会長に任命されました。

保険募集講師として、他管内の長崎、福岡、岡山、近畿、北陸、
信越と各地を廻らせていただき、募集話法について全国で公演させて
いただきました。

夜の飲み会も連日となり、我が家は完全なる母子家庭状態でしたが、
優しく美しい愛妻のお陰で仕事に没頭することができました。

夫婦のコミニュケーションが充実していれば、家庭と仕事の両立は
十分に可能であることも学びました。

妻には育児を任せきりで本当に感謝しかありません。

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