わたしの生い立ち『幼少時~現在』 記事一覧

わたしの生い立ち~青年少期3~

2009年1月15日

「ドラムと生きがい」


高校に入学すると、直ぐに軽音楽部に入りました。
それまでは音楽や楽器には特別な興味をもっていた
わけではないのですが、何気ない好奇心で音楽部に
足を踏み入れた私は、部室の奥で身体の芯まで響き渡る、
高く重いリズミカルなドラムの音に吸い込まれ、気が付いた
時には、一心不乱にたたいている先輩の傍に直立し、
ラテンリズムやロックに身体がシビレルる感動を憶えたのです。

午前の授業が終わり、昼休みに入ると、クラスの皆は
教室で腹ペコを満たす弁当を食べたり、1階の食堂に行ったり、
教室前にあるベランダでは、陽のあたるところで、
はしゃいだりして休憩時間を過ごしておりましたが、
私は在校中の3年間は、クラスの仲間と昼休みを共にした
記憶がありません。

私は午前中の授業が終わると直ぐに、弁当を抱えて、
6階の音楽部室に直行し、一気に弁当を流し込み、休憩時間
ギリギリまでドラムをたたいておりました。
昼時間のドラムと放課後のドラムをたたくことが、
メシより好きでどうしようもないものでした。
楽譜通りに練習するのではなく、自分の好き勝手に
色々なジャンルをたたける最高の環境が私を虜にしました。
秋の文化祭では、ポップスを中心に、トランペット・アルト、
テナーサックス・ボーン、クラリネット・ギターなどで
バンド演奏しました。

体育祭には校庭で演奏し、工大の学園祭には広島市内の
パレード演奏、夏季合宿を行ったりと年中行事も多くあり、
夏休みには、エレキバンドを結成し冷房の無い熱い部屋で
若いエネルギーを燃やし連日練習しました。
高校時代の休日や時間の空いている際には、母の経営する
「かっぱ食堂」で、仕込調理や野菜炒めなどを作り
、母親の手伝いをすることもありました。

調理好きもその影響と思います。

高校時代は、ドラムと英語に明け暮れ、打ち込めるものに
出会え充実した3年間であり、それまで、遣り甲斐を持つ
ことがなかった少年には

「人との出会い」

が大きな転機となり自己成長に繋がりました。
英語を得意としていた私は、関西の有名私立大学受験
をしましたが、英語以外の教科得点バランスが悪く、
見事に志望校は落ち地元の広島商科大学商学部(現修道大学)
に進みました。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代1~

2008年11月20日

(人生の転機)


勤務先は広島市南区に位置する普通郵便局、
宇品郵便局郵便課に属していた私は、勤務職種変更希望として、
郵便貯金課内勤職を提出しておりました。
(銀行マンの勤務イメージで)
ある日突然、課長より職種異動の話があり

「このたび突然の話ではあるが、保険課で退職者があるので、
江口君は保険課外勤への異動はどうですか」

寝耳に水であったが、一両日検討の末、保険課外務職への
異動を承諾した。郵政職員入社1年目でした。

 

それまで、生命保険の営業外交については皆無の知識で、
考えたことも興味も全く無い職種でしたが、一度自身を試す
意味で営業の仕事に挑戦してみようと安易に決意しました。

事前の説明では

「主な業務内容は、一軒々各家庭等を訪問し保険料を集金し、
簡易生命保険のセールスを行うこと」

一見簡単そうに見える業務内容でした。

 

今振り返ると、保険課への異動が、私の人生最大の転機であり
商機となった決断であったのです。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代2~

2008年11月3日

(簡保セールスマン誕生)


不定期の異動により、同じ局舎内2階の保険課に
異動となりました。
午前8時30分、初めて保険課の朝礼に参加し、
今までの緊張感の無い郵便課の朝礼に慣れていた私は、
全く違う規律と緊張感ある職場を目の当たりにし、
身体の中に衝撃が走りました。

そして、上位役職課長席の頭上部には、営業担当者の
フルネームが保険獲得成績順に整列され並んでおりました。
瞬間的に、高校時代英語の鍛冶先生からテスト成績表を
高得点者から返していた光景が脳裏を走りました。
私の中で完全に消滅しかけていた数値に対する執念闘士が
呼び覚まされる鼓動が聞こえました。
そうして、簡保生保のセールスマンとしてスタートしました。
毎日の朝礼終礼時には、当日高実績者の氏名が呼ばれ、
皆の前で拍手で報労品を受けとります。

その光景はもやは英語の授業にタイムスリップし、
私の心はヒートアップし、完全にスイッチが入りました。

 

毎晩自宅で約款など周辺知識の習得に懸命に努めました。
配属当初は集金業務から初め、成績の良い職員は、
2年後位にはセールス専門の募集専務に昇格となります。

そして私は1か月目より数件の契約獲得に成功し中位の成績を挙げ、
3か月目には上位に入る成績を挙げ、
短期間で異例のセールス専門の募集専務に就きました。
毎日、他の職員の前で報労授与されることを目標に懸命に
頑張りました。

 

その後、保険募集契約高により、外交募集手当が付与される
ことを知り、好成績者には、成果に応じてかなりの外交報酬が
あることが分かり、私のスイッチは更にバシッと強固になりました。
当時は中国郵政(5県下)管内で保険セールスに従事する職員は、
約3,000人おりました。
配属2年までの新任職員で優秀成績を収めた職員には、
新人優績賞が授与されることを聞かされ、当面の目標とし
頑張り翌年新人賞を獲得し、その優績会議参加において、
管内の最高優績者の方との交流の場をもつことができ、
学びと同時に更なる大きな感化を受けました。

わたしの生い立ち~サラリーマン時代3~

2008年11月3日

(高みの目標設定)


私の中では、更なる高みの目標として

「来年度は最高優績者の仲間入り、襟元に優績者のバッチを付る」

ことを掲げました。
保険セールスに従事する職員の中で、優績者には、
制服の襟元に金属製の輝くバッチが授与され、様々な会議の場でも、
人目で区別される様になっておりました。
受賞資格は、セールスマン3000名の中で、約3%に該当する
優秀成績者100名に付与されます。

 

書店に足を運び、多くのセールス手記物や専門書を買い込みました。
特に税務に関する知識を得たことは、大きな威力となり
所得税、相続税、贈与税、法人税などの知識は、確実に高額契約へと
綱がりました。
所得の高い人には、税務の知識話題が絶対不可欠であることも
体得しました。
夜や休日には、実費で経理学院に通い簿記も学び、ゴルフもやりました。
その他、生命判断講座にも通ったり、生命判断の習得は、
非常に話題作りに有効的となり、お客様との人間関係構築に
強力な威力を発揮し保険獲得に貢献しました。

お客様の名字氏名から字画数を算出し、性格や資質を判定し
アドバイスなども行いますので、非常に喜ばれました。
知識の習得勉強と比例して募集成績も向上し、
まさに、「知識は力」となることを痛感しました。

 

そして、当時ではまだまだ高額機器であった13万円もする、
ワープロ機器を思い切って購入投資しました。
すぐに、その効果を実感することとなり、新機種発売と
同時に買い替えを行い、自宅で各種挨拶状などの資料作りに駆使し、
自己への投資が還元される事を、肌で感じる事が出来ました。

 

翌年には、念願であった最高優績者に選任され表彰を受け、
計画通り輝くバッチを胸に付けることができました。

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