私の足跡~起業への道(カレー専門店時代)
2008年8月15日
(国家公務員退職)
保険営業マンとして中国管内1位の成績を「成し遂げた自信」、そして「公務員という特異体質組織では個人成果は正当に評価されないジレンマ」「何か新しい大きな遣り甲斐のある仕事に挑戦したい」という欲求の鼓動が少しずつ自身の中で増幅しておりました。
私は誰にも負けない成果を残した自負がありましたが、人事昇格辞令は年功先輩に決定した。しかも職場内では多くの同僚から余り信頼されていない2つ年上の先輩でした。
「常に高い夢に挑戦できる仕事、そしてもっと自身を高め、遣り甲斐と生き甲斐のある仕事に就きたい・・・」
私は、同僚先輩そして家内にも相談しないで、35才年収1,000万の職場を捨て、平成3年6月、公務員職に未練はあったものの大きな将来不安を残さず、国家公務員を辞した。
(脱サラ~共同経営事業)
高校時代の同級生が、少数名の社員を雇用し建築内装業を個人経営しており、バブル経済の好影響もあり規模を拡大していた。
彼とは、しばしば中区の繁華街で歓談の機会を重ね、私生活においても家族ぐるみで旅行、食事することが多かった。
彼は今後の事業拡大には強い営業力を必要としており、彼が現場監理、私が営業部門を担うことで意気投合し、建築以外の新業種への進出も準備し、お互い取締役として共同出資し、お互いの頭文字を社名に株式会社を設立した。
彼を代表取締役、私は専務取締役として中区にビル一棟を賃借し新会社は船出した。
設立より3か月を経過した頃になると、お互い経営に関する見解相違による亀裂が生まれ、友人と一緒に今後も共同経営で推進することは得策ではないと判断した私は、その会社から身を引き退職し、共同経営に終わりを告げた。
(新分野への起業)
共同経営の会社から身を引き、無職となった私は、暫くは家内とゆっくりとした時間を共有することとし、新しい仕事の模索と並行し、早朝よりパチンコ店に通い遊ぶ期間が2か月近く続きました。
次の仕事としては、公務員を辞めた理由からも起業しか頭にありませんでした。
幼少の頃より母親が食堂を営んでいた影響、学生時代の喫茶レストランでのバイト歴により外食事業に関心があった私は、外食産業に関するデーター調査、FC業態研究に注力し、多くの県外店舗視察に奔走の結果、中小企業参入における外食事業の将来性を展望し、当時としては未成熟であった小規模のカレーハウス本部とFC加盟契約を締結した。
10年後には広島でカレー店10店舗体制の構築を計画し、1992年5月株式会社エグチフードサービス設立、同年7月広島市佐伯区郊外に25坪32席のカレーハウス1号店を、オーナー店長として家内と二人三脚でオープンさせた。
早朝仕込みから調理、接客、清掃、アルバイト育成管理全てが手探りの中、お客様満足を最優先にすることで、業績は好調に推移した。今でも早朝立ち上げ時、家内の厨房作業容姿を忘れることはありません。
2年後には銀行より高額融資を取り付け、安佐南区に43坪の大型カレー店2号店をオープン、その1年後にはFC加盟を解約し、自社開発のカレーハウス業態に全面転換し4号店をオープン、5店舗体制を視野にFC本部を設立し、会社設立より6年目にはFC店舗を含めて10店舗を超えました。
全て一から学び、物件開発から店舗構築、業者商談、加盟店開発営業、メニュー開発、資金調達財務、採用、人財育成、給与規約など・・家内に任せた経理以外は、資金、総務人事、営業開発、業態改善全てを一人でこなし、郵便局時代を凌ぐ勢いで多くを学び経験しました。経営戦略よりも時間戦略でカバーした草創起業期でした。
(経営者失格)
開業より順調に拡大推移していた全社業績は、開業から7年を超えた頃より、社員教育不足、人材採用不備による人事問題、ノウハウ不足による自社カレー業態不振により会社業績は下降線を歩み、大胆なメニュー改訂も数回行ないましたが、業績は回復せず、利益確保が難しい状況が続きました。
社員の退職により、私は店長として店舗に入店しながら社長業を並行し、FC店舗管理と業態改善、人財採用育成、会社改革を強力推進しましたが、向上しない業績により心身共に疲弊し、将来悲観する窮地を迎えました。
今になって冷静に当時を振返ると、飲食業勤務経験も無く、経営の学習も得ることなく、勢いだけで走り組織拡大を作った、素人経営者として当然の結果であったのです。
続きは、次回のブログに載せております。
カテゴリ:わたしの生い立ち『幼少時~現在』

