「四国八十八カ所 霊山寺お礼参りと高野山 ~ 満願」

2009年9月17日

2009年9月11~12日  お遍路の旅 

 
先月8月22日、家内と二人で「四国八十八カ所お遍路」参りは、皆様のお陰様で無事結願となり、今回は八十八カ所の最初にお参りした徳島県の第1番札所霊山寺へ、お礼参りを行い、弘法大師が開創された総本山、和歌山県の高野山へ御参りに向かう二日間のお遍路旅となります。本日、夫婦揃って無事にお遍路の満願となります。

 

霊山寺(りょうぜんじ)

ツアーバスに乗り、山陽道から瀬戸大橋を渡り、昨年秋より初めてお遍路の御参りを始めた一番札所の「霊山寺」に戻ってまいりました。思い起こせば、1年前の9月21日の御参りに訪れた、初日の思い出が蘇りました。
お遍路用品として、白衣、納経帳、わげさ、納札、頭陀袋(納経用品を入れる肩から斜めにかける袋)を購入し、先達さんより、ろうそく、線香、数珠など御参り作法を学び、たどたどしく、読めないお経を唱えました。緊張の中で住職様からの法話をいただいたことが、昨日の様に回想されます。

本日も、初日同様、椅子に腰掛けて「般若心経」を唱えて、お坊様より法話をいただきました。
「これまで皆さん方は、多くの苦しい事や辛い事、そして悩み恨みがあったはずですが、無事に乗り越えて現在を生きておられます。ですから、これからも乗り越えていくことができますので、楽しい目標をたくさん掲げて、これからも元気で頑張って下さい。満願おめでとうございます」
そして、最後に拍手と一緒に「満願之証」を夫婦でいただきました。
家内は、般若心経を唱えながら一年間を思い起こし感無量の様子で涙ぐんでおりました。

 

 
記念のお飾り品を購入し、昼食は大広間にて、各自でお弁当をいただきました。小芋や野菜の炊き合わせを本当に美味しくいただきました(ご馳走さまでした)
先達さんは高野山から合流しますので、大師堂では夫婦二人で、お経を唱えさせていただき、無事お礼参りを終えました ~ 合掌。

 

 
 

(和歌山 高野山へ)

バスに乗って約45分で徳島港フェリー乗り場に到着しました。

 

 
南海フェリー13:30発で和歌山県に向かいます。大型フェリーはバス、トラックなど多くの車両で一杯でした。3階デッキでは初秋の爽やかな潮風が心地良く肌を撫で、暫く癒される幸福を楽しんでおりました。片道約2時間の船旅は、読書をしている間に和歌山港に到着しました。
「高野山」に向かう途中の道の駅で先達さんが待っておられ、合流となりました。
本日は「高野山」に入り宿坊に宿泊し、御参りは明日になります。

 
(宿坊 安養院)

 
18時に高野山の宿坊「安養院」に到着です。部屋割りを済ませ18:30より大広間で、お寺ならではの夕食をいただきました。野菜類のおかず、ご飯、お汁で肉類の無い「精進料理」膳を、美味しく並んでいただきました。
私達夫婦は、夕食を終えた足でそのまま高野山のバス通りに出ました。今夜のウォーキングを兼ねて30分程、すっかり日が暮れた商店通りを散策しましたが、お土産店は1店舗しか開いて無く、観光地とは思えない程、閑散とした夜街を肌寒く早足で戻りました。
私の部屋は1階の三人部屋で、自己紹介後、テレビを見ながら世間話に花が咲きました。
家内は2階の部屋で、年配のご婦人と二人部屋でした。
家族風呂の様な小さなお風呂をいただき、本日の疲れを落とし22時前に消灯しました。
高野山町は標高900メートルを越え、一足早く秋を迎えることから、掛け布団が心地良かったです。

高野山は ~
弘法大師が816年真言宗密教の根本道場として定められ、国の平和に安らかな生活への道を伝え、併せて末徒の修禅観法のため、また自らの入定の地とする崇高な目的をもって開創された。この山は開創以来1190余年、一般庶民の強い信仰と支持を集め、宗派にとらわれず、あらゆる階層の人々の心の憩いの場として、或いは魂の安息所として発展し、今日の如き一仏都をなすに至ったのである。年々歳々この聖地に杖をひく人々百万を超える。
高野町高野山の町には、5000人が居住し1000人の僧侶がいるそうです。

5時前には起床し6時から朝のお勤めとなります。早朝の本堂は、まだ夜が覚めやらず暗いロウソク灯りの中、静かに住職より法話をいただきました。
「弘法大師は、世界人類の平和を心願し高野山に道場を開かれ、宗教宗派を問わず、世の人々のために命をかけて教育の普及に努めた。般若心経を作られたのは弘法大師であり、600冊の経本を、集約した価値あるお経である。
私達は優しい心で先祖を供養することが大切であり、感謝の心をもつことが優しさである。日本人は不自由が無く、有難さが分からない社会環境下にあり、私達が先人の頑張りのお陰で今があることを教えることが必要である。
四国八十八か所お遍路には、多くの方々が参加されるが、途中で辞められる方も多くいる中で、何故、あなた達が最後まで満願できたのか考えていただきたい・・・・・     それは、あなた達が弘法大師に選ばれた人であるからです」
良いお話を聞かせていただきました。 
折角のお寺参りですから、お彼岸を迎え、江口家の先祖供養をお願いしました。
 全員で焼香し般若心経を唱えて ~ 合掌。
朝のおつとめは約1時間で終わり、7時より食事作法にて朝食をいただきました。

 

 

(霊場 高野山奥の院)

8時にバスへ、今朝は地元の高野山専門ガイドさんと一緒に出発です。
天気予報は雨模様を発しており、空はどんよりと重い雲が拡がっておりました。
奥の院へ向う途中、日本三大霊場である高野山の墓地には、歴史に偉業を残した多くの人達、織田信長、豊臣秀吉、徳川家、毛利家、武田信玄、高杉晋作、坂本竜馬など・・・、そして企業のトヨタ、日産、ホンダ、原爆戦争追悼、各地の被災者、供養塔など・・・・一般の方々、国籍を問わないお墓が、奥の院まで数え切れない程、ずっと並んでおりました。

 

 

奥の院境内は、脱帽、撮影禁止となっており写真撮影はできません。お札を入れ、大きな仏増は拝し、奥の院、大師信仰の中心聖地である「弘法大師御廊」に到着しました。
大師は62歳で入定(にゅうじょう)したそうです。
大師は今でもここに御参りされるあらゆる人を救い続けていると信じられています。ロウソク、線香を灯し、心より般若心経を唱えて、無事に満願となりました ~ 合掌。
昨年9月より一年、夫婦で元気に無事満願することができましたことに、心より感謝いたします。
男性のガイドさんは、エピソードとユーモアを交え、笑いを誘い退屈させない非常に話が上手な素敵なガイドであり営業マンです。自称「顔がニューヨークヤンキースの松井、声は西川のりお!」本当にゴジラ松井にそっくりです。
高野山奥の院参拝記念として、奥の院札が祭ってある南無大師遍照金剛盾を二つ購入しました(ゴジラの奨めです)

 


 

(総本山 金剛峰寺)

金剛峰寺は、高野山一山の総称であった。この寺は1593年豊臣秀吉の亡母の菩提のために建立、更に1863年再建されたのが現在の建物である。
高野山真言宗の総本山として一切の宗務所があって全国及び海外の末寺四千か寺の行政を統括、壱千万大師信徒の信仰の中心となっている。

「幡龍庭」は、石庭としては我国最大の庭(2340平方メートル)である。雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。龍は四国産の青い花崗岩140個。雲海には京都の白い砂が使われている。京都のお寺でみかける庭園に似ておりました。

 

 

鮮やかな朱色に塗られている「根本大塔」は、伽藍中心の塔として高さ50メートル、四面30メートル、中央や四方に巨大な仏像や壁画が描かれておりました。16本の巨大な柱は圧巻でした。

 

 
途中で黄色の正装に身を包んだ、走る修行僧の団体に出会いました ~ 合掌。
(昼食)
高野山高野町にある「一の橋観光センター」で昼食となりました。食時作法により、名物の「ごま豆腐」「高野豆腐」など、精進料理のお弁当を美味しくいただきました。
帰広まで、売店お土産売り場で、ごま豆腐などのお土産を購入し、少し疲れた身体を抱えて、一路広島に向かうバスに乗り込みました。
本日、夫婦揃って四国八十八カ寺お参りを終え、弘法大師の宿る高野山の聖地に
御参りをさせていただき、無事に満願できましたことを、心より感謝いたします。
今回のお遍路旅では、生きるとは、そして仏様とは何かを見つけるきっかけに出会えることができた様に思います。まだまだ未熟者であり、半端者であり、心の修行の入り口にも立っておりませんが、より心を高め、人間として生まれてきた清い魂を磨く旅をこれからも続けてまいります。

安養院のお住職様の「八十八カ所を満願できたのは、大師様から選ばれた人である」言葉を謙虚に受け止めさせていただき、少しでも大師様のお考えを学び、そして世の中のために役に立てる様に精進してまいります。

心には心の変化の仕方という法則がある。
良いことを重ねれば心はますます良くなり、悪いことをすれば一回だけと思っていても心は悪へと一歩すすむ。
早く、良い心の展開に身を投げられることが大事である。
そうすれば必ず、まだ見ぬ世界が開けてくる。

   満願を導いて下さったこれまでの皆様、そして家内に心より感謝いたします。

  合掌!


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