「胆のう摘出術入院」
2010年6月23日
6月14日
通常取通り会社の朝礼に参加し、明日から暫く入院加療で出社できないので
身辺整理を行ない、急いで家内と昼食を済まし、家内の運転する車で、
広島市立舟入病院へ急いだ。
14時に1階の受付を済ませ、私達は看護士の案内でエレベーターで4階へ。
身長と体重を計っていただき、病室へ案内、412号室の個室です。
「いよいよ入院か~」
早速心電図エコーをとり、院内設備の説明や入院について説明をいただきました。
テレビはナースステーション前のカード販売機で、食事時間、入浴時間など。
振り返れば、毎年行っている山口県病院の人間ドック検診において、
主治医より、胆管に石が詰まっているとの指摘を受けました。
正式には「胆嚢管結石」という病名で、胆管に石が詰まっているので、
胆汁がでない閉塞状態になっているらしく、
いずれ胆のうが破裂する危険性があるとのことで、
広島の病院で早期手術による摘出を勧められていました。
その後、仕事の予定もあり、中々病院に診察に行くことができなかったのですが、
「会社を預かる責任ある社長という立場において、治療を先延ばしにすることは許されない」
との思いで、先日舟入病院外科に受診し、今回手術の運びとなりました。
19時過ぎには、愛娘の佳那子が、仕事帰りに顔を出しました。
「遺言書は書いたの・・・」なんて笑って、励ましてくれましたが
(きっと嫁に行った娘は本心だろう)
6月15日(手術前日)
看護士さんに開腹する場所や、点滴する腕や上肢の一部を除毛されその後入浴しました。
担当医、麻酔科医から明日の麻酔・手術について詳細説明、HCU入室説明もありました。
HCU室とは、集中治療管理室です。
術後の患者の状況を管理できる各種機器の揃った室です。
背中を丸めて全身麻酔注射を行い、前後で4時間程度の手術時間の説明を受けました。
麻酔科医の説明を受けて、初めて緊張しました。
今回の病室は、初めから個室を希望しました。
最大理由は、病室でパソコンによる指示Eメールを送受信するためです。
そして、誰にも邪魔されずに、好きな読書をゆっくりと読む為です。
書籍を読める最高のチャンスと思い、
哲学書や経営ビジネス書など10冊を持ち込みました。
個室は1日5400円負担となりますが、トイレ洗面が完備されています。
本日の夜食は普通食をいただき、21時以降は絶食です。
手術の前日は、興奮して寝付かれない方が多いので、
入眠前に睡眠剤を飲むとのことでしたが、
私は「大丈夫です」と投薬は見送りし、下剤だけを飲んで、
書籍を抱いて時間を忘れ床につきました。
家内は明日の手術を前に、少し不安そうな顔をしておりましたが、
「悪い物をとるんじゃけ、良くなるんじゃから」
と元気に励まして帰宅しました。B型らしいです。
やはり愛妻が傍にいてくれるのは嬉しい限りであり、本当に感謝です。
6月16日(手術当日)
朝9時に看護士より浣腸をします。手術中を考慮し全て内臓にある老廃物は排除されます。
10時以降は、水も飲んではいけなくなりました。
左腕に点滴注射が入りました。
これから1日24時間の4日間ずっと昼夜点滴をするそうです。
家内と不安そうに病室でTVを見ながら、不安な面持ちで待ちます。
12:30分、手術衣に着替えます。弾力ストッキングをはきます。
私は搬送用ベッドを制して、看護士、家内を連れ立って、
手術の必要物品を持参(HCU持込物品)し手術室までの長い道のりを歩きました。
まるで映画ドラマのシーンで、死刑囚が死刑台に歩いていくシーンを思い出しました。
長く辛い、そして冷たい廊下です。
狭い手術用のベッドに移動し、優しい看護士さん達に囲まれ、いよいよ開始です。
これまでから先程まで、本当に冷静沈着な私でしたが、
かなり不安な気持ちが大きくなってくるのを感じておりました。
背中上部に、前段の簡易麻酔注射を打たれました。
2分後、今度は正式な全身麻酔用の注射針が打たれ、
かなり背中に違和感を覚えました。
看護士さんから、「点滴に睡眠を誘う注射を打ちます」その言葉を最後に、
約1分後位には、私の意識は完全に無くなりました。
先生の声で、意識がもうろうと覚醒する中、真っ黒い結石を見せていただきましたが、
「こんな大きな石が・・・」良く憶えておりませんが覚醒の第一声でした。
家内も傍にいた様子ですが。
手術後HCUに入室しました(本人は全く覚えておりません)
心電図モニター(身体の状態を電波を通じて詰め所で管理する装置、
酸素、点滴、尿の管)などの様々な機械をつけます。
尿の管が翌朝まで入っています。
全身身動きできずかなり辛いです。
口の上は酸素マスク着用、左人差し指は酸素濃度計が挟まれ、
点滴は2本、背中には痛み止めのチューブが入っております
(定期毎に薬剤が注入されます)
両足は、ストッキングの上から、締め付けられたサポーターの様な器具は巻かれており、
20秒程度の間隔でマッサージされます。
動かないので下肢から血栓となり心臓や脳への移動防止の為だそうです。
体中が暑く、身動きとれず、苦しい一夜を向かえました。
看護士さんは頻繁に監視にきては、点検確認して巡回されます。
6月17日(術後1日目)
長い長い1日が無事に終わり、17日の朝を迎えました。
時間との戦いですが、何事も「朝の来ない夜は無いということです」
辛いことがあっても、それはやがて時の経過を経て通り過ぎるのです。
酸素マスクを外していただき、下肢の器具、
その他監視装置を取り除いていただき、
点滴と背中の痛み止めチューブだけとなり、
午前10時過ぎに412号室へ戻りました。
部屋に戻って、主治医執刀医に本当に感謝しました。
先生のお陰様です。
昼ごはんには、三分粥がでました。殆ど水分のお粥です。
病室に戻ると、卓上テーブルの上に、
容器に入った結石が置いてありました。
約1センチ角の黒い溶岩の様です。
家内は主治医から術後の経過を聞いており、
成功した手術に安堵し優しい顔で迎えてくれました。
家内にも心労をかけました。
腹部は2センチ程度を4か所切開され絆創膏が貼られています。
動いたり、鼻をかむと傷口が傷みます。
点滴を引きずりながら、傷む腹部を抱えながら、私からの指示を待つ社員に、
PCにスイッチを入れ、Eメールを確認し、各社員への指示確認を送信しました。
6月18日(術後2日目)
朝食は、三分粥と牛乳です。
点滴は24時間継続して行われます。抗生剤と水溶性整理液の2本です。
検温と点滴の交換に看護士が巡回にきます。
皆さん大変とても親切です、そして元気です。
家内は会社に出社し、夕方17時頃に毎日見舞いに来てくれます。
着替えや身辺を整えてくれます。
私と反対に、いつも健康で元気で何よりです。元気な家内に感謝しております。
ただし、見舞いと言っても病室のベッド椅子に横になって本当に寝ています。
間違い無く私よりは長生きします。それが何よりの幸福です。
時間の合間を見ては、PCメールを確認しておりますが、
PCの状態が悪くなり途中で不通になり突然スイッチが何度も切れます。
16時頃、順爾が見舞いがてらに仕事の報告にきました。
本日のランチは碓井、日野の3名で、五日市のバジルで旨い料理を食べたとの事です。
社員一同よりの「見舞いの色紙」をいただきました。
日野さんが上手に写真を貼ってくれておりました。
気遣っていただいたことを嬉しく思います。
日野さんと碓井さんの素敵な笑顔が浮かびました。
二人共、本当に優しい良い社員です。
今回の入院に際して、社員の皆には、
「社長命令で、お見舞いに来ることは禁止とする」ことを事前に周知しておりました。
一人が見舞いに来れば、「私も行かなければ・・・」と言うことになりかねません。
社員には業務に励んでいただくことが、何よりの励み見舞いなることを周知しておりました。
順爾は5月に呉の野呂山にある断食道場寺に行ってからは、
食が細くなり体重も確実に減量しております。
最近では食事に気配りし、肉を減して野菜中心に切り替えている様子です。
健康管理の重要性に気づけば、良いことです。
それよりも未だに禁煙しない社員が問題です。何とかしなくては。
6月19~20日(3~4日目)
三分粥から五分粥に昇格です。
点滴は、20日の午前中で終了となり、やっと点滴用の注射針が抜けました。
連日、静養と読書三昧です。
シャワーも毎日入ることができます。
時間の合間を見ては、4階フロアーを歩行して早期体力の復帰に向け、
少しづつトレーニングをしておりますが、直ぐに疲れます。
咳をしても腹部の傷口が痛いです。
とにかく、少しでも歩いて体調をもどし、退院後早期の現場復帰を目指します。
24日、25日と大切な業務予定が入っているので体を動かします。
先生との話し合いにより、早期退院希望を伝え、21日退院を決定しました。
その夜は、最後の入院生活を満喫する為に、遅い時間まで読書をしました。
6月21日(5日目)
明け方4時過ぎ頃より、急に体中に、さむ気が訪れ、身体が寒さで震えだしました。
寒くて寒くて、身動きできない状況になり、1時間余り辛抱しましたが、
いっこうに収まる気配が無いので、ナースコールボタンを押し、
直ぐに看護士が駆けつけてくれました。
身体中が寒くて震えが収まらない旨を伝えたところ、
柔らかい湯たんぽ2個を持参いただき、
1個は胸元に抱いて、もう1個は足元においていただきました。
しかし、その後1時間経過しても寒気はいっこうに直らず、
辛抱していたら程なく、震えが少しづつとれてきました。
時計は間もなく7時を指すところでした。
7時に解熱剤を飲み、1時間程すると、解熱と一緒に汗が滲んできました。
主治医は、血液検査を行い、結果では内蔵には特に合併症等の問題は見られないので、
念願の退院を許可いただきました。
やがて10時には完全に熱は下がりました。
突然の原因不明の発熱が気になるところですが、21万円の入院支払いを終え、
4階の看護士の皆様にお礼を伝えて、舟入病院を後にしました。
晴れてご赦免です。
やくざ映画のシーンでないですが、いよいよ刑務所から出所しシャバに戻る気分でした。
病院からの帰り道で、お墓参りに行き、無事帰宅できたことのお礼と報告を告げました。
手術当日に、家内がお墓参りした時に生けた、菊の花が、まだ綺麗に咲いておりました。
さすが私が選んだ家内です。江口家の墓を守ってくれています。
今自分があるのは、何と言っても両親がいてくれたお陰様です。
両親はその両親様のお陰様です。千祖に感謝いたします。
今回の入院手術では、大きな気づき、そして開腹手術体験と学びの場をいただきました。
看護士さんたちの、献身的な仕事ぶりは、人の役に立つこと、
そして苦しんでいる患者さんを少しでも和らげてあげたいとの使命感と、
社会貢献からの言動を学ばせていただきました。
そしてプロとは何か。責任ある仕事とは何か。
手を抜かず献身的な仕事振りに本当に敬服しました。
だから皆さん元気で働いておられるのです。
病院には高齢者の方が沢山入院されておられます、
食事から入浴、トイレのお世話が大半の業務ですが、
献身的な働きぶりに多くの学びをいただきました。
そして、愛する家内に支えていただいたことに感謝を改めて学ばせていただきました。
先程、社員には昨日退院の報告と、
明日から、会社に出社する旨をEメールで報告しました。
本日の午前中は20分程度自宅近所を歩きました。夜にはもう一度歩いて
身体を少しでも慣らしてから、元気に明日出社します。
また、元気で仕事をさせていただけることに感謝いたします。
合掌。
カテゴリ:「感動感謝」