「胆のう摘出術入院」
2010年6月23日
6月14日
通常取通り会社の朝礼に参加し、明日から暫く入院加療で出社できないので
身辺整理を行ない、急いで家内と昼食を済まし、家内の運転する車で、
広島市立舟入病院へ急いだ。
14時に1階の受付を済ませ、私達は看護士の案内でエレベーターで4階へ。
身長と体重を計っていただき、病室へ案内、412号室の個室です。
「いよいよ入院か~」
早速心電図エコーをとり、院内設備の説明や入院について説明をいただきました。
テレビはナースステーション前のカード販売機で、食事時間、入浴時間など。
振り返れば、毎年行っている山口県病院の人間ドック検診において、
主治医より、胆管に石が詰まっているとの指摘を受けました。
正式には「胆嚢管結石」という病名で、胆管に石が詰まっているので、
胆汁がでない閉塞状態になっているらしく、
いずれ胆のうが破裂する危険性があるとのことで、
広島の病院で早期手術による摘出を勧められていました。
その後、仕事の予定もあり、中々病院に診察に行くことができなかったのですが、
「会社を預かる責任ある社長という立場において、治療を先延ばしにすることは許されない」
との思いで、先日舟入病院外科に受診し、今回手術の運びとなりました。
19時過ぎには、愛娘の佳那子が、仕事帰りに顔を出しました。
「遺言書は書いたの・・・」なんて笑って、励ましてくれましたが
(きっと嫁に行った娘は本心だろう)
6月15日(手術前日)
看護士さんに開腹する場所や、点滴する腕や上肢の一部を除毛されその後入浴しました。
担当医、麻酔科医から明日の麻酔・手術について詳細説明、HCU入室説明もありました。
HCU室とは、集中治療管理室です。
術後の患者の状況を管理できる各種機器の揃った室です。
背中を丸めて全身麻酔注射を行い、前後で4時間程度の手術時間の説明を受けました。
麻酔科医の説明を受けて、初めて緊張しました。
今回の病室は、初めから個室を希望しました。
最大理由は、病室でパソコンによる指示Eメールを送受信するためです。
そして、誰にも邪魔されずに、好きな読書をゆっくりと読む為です。
書籍を読める最高のチャンスと思い、
哲学書や経営ビジネス書など10冊を持ち込みました。
個室は1日5400円負担となりますが、トイレ洗面が完備されています。
本日の夜食は普通食をいただき、21時以降は絶食です。
手術の前日は、興奮して寝付かれない方が多いので、
入眠前に睡眠剤を飲むとのことでしたが、
私は「大丈夫です」と投薬は見送りし、下剤だけを飲んで、
書籍を抱いて時間を忘れ床につきました。
家内は明日の手術を前に、少し不安そうな顔をしておりましたが、
「悪い物をとるんじゃけ、良くなるんじゃから」
と元気に励まして帰宅しました。B型らしいです。
やはり愛妻が傍にいてくれるのは嬉しい限りであり、本当に感謝です。
6月16日(手術当日)
朝9時に看護士より浣腸をします。手術中を考慮し全て内臓にある老廃物は排除されます。
10時以降は、水も飲んではいけなくなりました。
左腕に点滴注射が入りました。
これから1日24時間の4日間ずっと昼夜点滴をするそうです。
家内と不安そうに病室でTVを見ながら、不安な面持ちで待ちます。
12:30分、手術衣に着替えます。弾力ストッキングをはきます。
私は搬送用ベッドを制して、看護士、家内を連れ立って、
手術の必要物品を持参(HCU持込物品)し手術室までの長い道のりを歩きました。
まるで映画ドラマのシーンで、死刑囚が死刑台に歩いていくシーンを思い出しました。
長く辛い、そして冷たい廊下です。
狭い手術用のベッドに移動し、優しい看護士さん達に囲まれ、いよいよ開始です。
これまでから先程まで、本当に冷静沈着な私でしたが、
かなり不安な気持ちが大きくなってくるのを感じておりました。
背中上部に、前段の簡易麻酔注射を打たれました。
2分後、今度は正式な全身麻酔用の注射針が打たれ、
かなり背中に違和感を覚えました。
看護士さんから、「点滴に睡眠を誘う注射を打ちます」その言葉を最後に、
約1分後位には、私の意識は完全に無くなりました。
先生の声で、意識がもうろうと覚醒する中、真っ黒い結石を見せていただきましたが、
「こんな大きな石が・・・」良く憶えておりませんが覚醒の第一声でした。
家内も傍にいた様子ですが。
手術後HCUに入室しました(本人は全く覚えておりません)
心電図モニター(身体の状態を電波を通じて詰め所で管理する装置、
酸素、点滴、尿の管)などの様々な機械をつけます。
尿の管が翌朝まで入っています。
全身身動きできずかなり辛いです。
口の上は酸素マスク着用、左人差し指は酸素濃度計が挟まれ、
点滴は2本、背中には痛み止めのチューブが入っております
(定期毎に薬剤が注入されます)
両足は、ストッキングの上から、締め付けられたサポーターの様な器具は巻かれており、
20秒程度の間隔でマッサージされます。
動かないので下肢から血栓となり心臓や脳への移動防止の為だそうです。
体中が暑く、身動きとれず、苦しい一夜を向かえました。
看護士さんは頻繁に監視にきては、点検確認して巡回されます。
6月17日(術後1日目)
長い長い1日が無事に終わり、17日の朝を迎えました。
時間との戦いですが、何事も「朝の来ない夜は無いということです」
辛いことがあっても、それはやがて時の経過を経て通り過ぎるのです。
酸素マスクを外していただき、下肢の器具、
その他監視装置を取り除いていただき、
点滴と背中の痛み止めチューブだけとなり、
午前10時過ぎに412号室へ戻りました。
部屋に戻って、主治医執刀医に本当に感謝しました。
先生のお陰様です。
昼ごはんには、三分粥がでました。殆ど水分のお粥です。
病室に戻ると、卓上テーブルの上に、
容器に入った結石が置いてありました。
約1センチ角の黒い溶岩の様です。
家内は主治医から術後の経過を聞いており、
成功した手術に安堵し優しい顔で迎えてくれました。
家内にも心労をかけました。
腹部は2センチ程度を4か所切開され絆創膏が貼られています。
動いたり、鼻をかむと傷口が傷みます。
点滴を引きずりながら、傷む腹部を抱えながら、私からの指示を待つ社員に、
PCにスイッチを入れ、Eメールを確認し、各社員への指示確認を送信しました。
6月18日(術後2日目)
朝食は、三分粥と牛乳です。
点滴は24時間継続して行われます。抗生剤と水溶性整理液の2本です。
検温と点滴の交換に看護士が巡回にきます。
皆さん大変とても親切です、そして元気です。
家内は会社に出社し、夕方17時頃に毎日見舞いに来てくれます。
着替えや身辺を整えてくれます。
私と反対に、いつも健康で元気で何よりです。元気な家内に感謝しております。
ただし、見舞いと言っても病室のベッド椅子に横になって本当に寝ています。
間違い無く私よりは長生きします。それが何よりの幸福です。
時間の合間を見ては、PCメールを確認しておりますが、
PCの状態が悪くなり途中で不通になり突然スイッチが何度も切れます。
16時頃、順爾が見舞いがてらに仕事の報告にきました。
本日のランチは碓井、日野の3名で、五日市のバジルで旨い料理を食べたとの事です。
社員一同よりの「見舞いの色紙」をいただきました。
日野さんが上手に写真を貼ってくれておりました。
気遣っていただいたことを嬉しく思います。
日野さんと碓井さんの素敵な笑顔が浮かびました。
二人共、本当に優しい良い社員です。
今回の入院に際して、社員の皆には、
「社長命令で、お見舞いに来ることは禁止とする」ことを事前に周知しておりました。
一人が見舞いに来れば、「私も行かなければ・・・」と言うことになりかねません。
社員には業務に励んでいただくことが、何よりの励み見舞いなることを周知しておりました。
順爾は5月に呉の野呂山にある断食道場寺に行ってからは、
食が細くなり体重も確実に減量しております。
最近では食事に気配りし、肉を減して野菜中心に切り替えている様子です。
健康管理の重要性に気づけば、良いことです。
それよりも未だに禁煙しない社員が問題です。何とかしなくては。
6月19~20日(3~4日目)
三分粥から五分粥に昇格です。
点滴は、20日の午前中で終了となり、やっと点滴用の注射針が抜けました。
連日、静養と読書三昧です。
シャワーも毎日入ることができます。
時間の合間を見ては、4階フロアーを歩行して早期体力の復帰に向け、
少しづつトレーニングをしておりますが、直ぐに疲れます。
咳をしても腹部の傷口が痛いです。
とにかく、少しでも歩いて体調をもどし、退院後早期の現場復帰を目指します。
24日、25日と大切な業務予定が入っているので体を動かします。
先生との話し合いにより、早期退院希望を伝え、21日退院を決定しました。
その夜は、最後の入院生活を満喫する為に、遅い時間まで読書をしました。
6月21日(5日目)
明け方4時過ぎ頃より、急に体中に、さむ気が訪れ、身体が寒さで震えだしました。
寒くて寒くて、身動きできない状況になり、1時間余り辛抱しましたが、
いっこうに収まる気配が無いので、ナースコールボタンを押し、
直ぐに看護士が駆けつけてくれました。
身体中が寒くて震えが収まらない旨を伝えたところ、
柔らかい湯たんぽ2個を持参いただき、
1個は胸元に抱いて、もう1個は足元においていただきました。
しかし、その後1時間経過しても寒気はいっこうに直らず、
辛抱していたら程なく、震えが少しづつとれてきました。
時計は間もなく7時を指すところでした。
7時に解熱剤を飲み、1時間程すると、解熱と一緒に汗が滲んできました。
主治医は、血液検査を行い、結果では内蔵には特に合併症等の問題は見られないので、
念願の退院を許可いただきました。
やがて10時には完全に熱は下がりました。
突然の原因不明の発熱が気になるところですが、21万円の入院支払いを終え、
4階の看護士の皆様にお礼を伝えて、舟入病院を後にしました。
晴れてご赦免です。
やくざ映画のシーンでないですが、いよいよ刑務所から出所しシャバに戻る気分でした。
病院からの帰り道で、お墓参りに行き、無事帰宅できたことのお礼と報告を告げました。
手術当日に、家内がお墓参りした時に生けた、菊の花が、まだ綺麗に咲いておりました。
さすが私が選んだ家内です。江口家の墓を守ってくれています。
今自分があるのは、何と言っても両親がいてくれたお陰様です。
両親はその両親様のお陰様です。千祖に感謝いたします。
今回の入院手術では、大きな気づき、そして開腹手術体験と学びの場をいただきました。
看護士さんたちの、献身的な仕事ぶりは、人の役に立つこと、
そして苦しんでいる患者さんを少しでも和らげてあげたいとの使命感と、
社会貢献からの言動を学ばせていただきました。
そしてプロとは何か。責任ある仕事とは何か。
手を抜かず献身的な仕事振りに本当に敬服しました。
だから皆さん元気で働いておられるのです。
病院には高齢者の方が沢山入院されておられます、
食事から入浴、トイレのお世話が大半の業務ですが、
献身的な働きぶりに多くの学びをいただきました。
そして、愛する家内に支えていただいたことに感謝を改めて学ばせていただきました。
先程、社員には昨日退院の報告と、
明日から、会社に出社する旨をEメールで報告しました。
本日の午前中は20分程度自宅近所を歩きました。夜にはもう一度歩いて
身体を少しでも慣らしてから、元気に明日出社します。
また、元気で仕事をさせていただけることに感謝いたします。
合掌。
カテゴリ:社長「感動×感謝」ブログ!
「誕生日プレゼント」
2009年12月29日
12月27日は、私の・・回目の誕生日です。
今年の秋より自宅で早朝、深夜、休日を利用して「自叙伝」の執筆に励み、遂に完成し記念すべき私の誕生日に発行となりました。休日は自宅に缶詰で執筆に励みました。
今期5月の中期経営方針発表会において「今期中に書籍を発刊します」と、社員に約束宣言しており、9月に四国八十八カ所遍路の満願を終え、直ぐに執筆活動に入りました。
そう言えば、四国八十八箇所巡礼も昨年の社員会議で「八十八か所を周ります」と宣言したものでした。4年前に禁煙を始めたのも社員に宣言したから果たすことができています。
私は、何かを成すには、社員への宣言が有効である様です。
それでは、少しPRを兼ねて書籍内容を紹介させていただきます。
「生誕 ~ 貧乏生活少年時代 ~ 英語教師との出会い ~ 郵便局サラリーマン時代
~ 独立起業 ~ 苦悩 ~ 会社経営者」
生い立ちから現在、人生哲学の基礎となっている思いを綴った自叙伝です。
タイトル「夢と感動を創造する」
第一章 母の背中と人を思いやる心
第二章 自分だけが自分の人生を切り開く
第三章 打つ手は無限―諦めない生き方
第四章 生き方働き方
社員には、全員に1冊ずつ贈ります。
ご興味のある方は、是非ホームページより購入申し込んでいただければ幸いです。
手前味噌で恐縮ですが、自信をもっておすすめします。
今回の書籍発行にあたり、立命出版の前代表様には、執筆から色々とご指導お力添えを賜り、お陰様に感謝し改めてお礼申しあげます。
来年4月には、第二弾の書籍として「人生に成功する法則」を発行予定で、現在急ピッチで執筆活動にトライしております。学生、社会人、中小企業経営者など多くに方々へ、人生に対する正しい思考、人生成功への原理原則を書いていますので、ご期待下さい。
12月24日は、14時より16時まで本社でブロック長会議がありました。会議の最後に総括として私よりお話をさせていただき「・・・本年の精力的な取り組みに感謝いたします。来年も宜しくお願いいたします。良い年を迎えられることを祈念いたします」と挨拶して終わったと同時に、どこからか「社長 お誕生日おめでとうございま~す!」 ハッピバースデーソングで包まれ、社員から誕生日プレゼントをいただきました。
鉢寄せのお花、バースデーケーキ、記念品、そして社員からのサイン入り色紙をいただきました。
ビッグ サプライズ インプレッションです!
予想もしないパフォーマンスに、驚きと感動とテレの渦に巻き込まれました。
記念品は、猫カップでした(先日、今まで使っていた猫カップを落とし壊れていた)
祝っていただき、そして何よりも、心配りに本当に社員に感謝、感謝です。
18時からは、2回オフィスで本社社員が集まり、先程いただいたバースデーケーキと、業者さんからいただいたクリスマスケーキ、パウンドケーキ、シャンパン、たくわん(試食用にいただいたもの)で、メリークリスマス! そして、誕生日おめでとうございま~す!乾杯~イ! 総務の碓井さんが、不慣れな手つきで取り分けて配ります。
何故かケーキを食べながら「たくわん」に人気が集中する変な企業集団です。
24日に納品いただいた書籍「自叙伝」と「社員プレゼント」サプライズの、W合わせスープでは無く、Wプレゼントです。
最高の想い出をいただいた、至福のクリスマスイブを有難う!
カテゴリ:社長「感動×感謝」ブログ!
「四国八十八カ所 霊山寺お礼参りと高野山 ~ 満願」
2009年9月17日
2009年9月11~12日 お遍路の旅
先月8月22日、家内と二人で「四国八十八カ所お遍路」参りは、皆様のお陰様で無事結願となり、今回は八十八カ所の最初にお参りした徳島県の第1番札所霊山寺へ、お礼参りを行い、弘法大師が開創された総本山、和歌山県の高野山へ御参りに向かう二日間のお遍路旅となります。本日、夫婦揃って無事にお遍路の満願となります。
霊山寺(りょうぜんじ)
ツアーバスに乗り、山陽道から瀬戸大橋を渡り、昨年秋より初めてお遍路の御参りを始めた一番札所の「霊山寺」に戻ってまいりました。思い起こせば、1年前の9月21日の御参りに訪れた、初日の思い出が蘇りました。
お遍路用品として、白衣、納経帳、わげさ、納札、頭陀袋(納経用品を入れる肩から斜めにかける袋)を購入し、先達さんより、ろうそく、線香、数珠など御参り作法を学び、たどたどしく、読めないお経を唱えました。緊張の中で住職様からの法話をいただいたことが、昨日の様に回想されます。
本日も、初日同様、椅子に腰掛けて「般若心経」を唱えて、お坊様より法話をいただきました。
「これまで皆さん方は、多くの苦しい事や辛い事、そして悩み恨みがあったはずですが、無事に乗り越えて現在を生きておられます。ですから、これからも乗り越えていくことができますので、楽しい目標をたくさん掲げて、これからも元気で頑張って下さい。満願おめでとうございます」
そして、最後に拍手と一緒に「満願之証」を夫婦でいただきました。
家内は、般若心経を唱えながら一年間を思い起こし感無量の様子で涙ぐんでおりました。
記念のお飾り品を購入し、昼食は大広間にて、各自でお弁当をいただきました。小芋や野菜の炊き合わせを本当に美味しくいただきました(ご馳走さまでした)
先達さんは高野山から合流しますので、大師堂では夫婦二人で、お経を唱えさせていただき、無事お礼参りを終えました ~ 合掌。
(和歌山 高野山へ)
バスに乗って約45分で徳島港フェリー乗り場に到着しました。
南海フェリー13:30発で和歌山県に向かいます。大型フェリーはバス、トラックなど多くの車両で一杯でした。3階デッキでは初秋の爽やかな潮風が心地良く肌を撫で、暫く癒される幸福を楽しんでおりました。片道約2時間の船旅は、読書をしている間に和歌山港に到着しました。
「高野山」に向かう途中の道の駅で先達さんが待っておられ、合流となりました。
本日は「高野山」に入り宿坊に宿泊し、御参りは明日になります。
(宿坊 安養院)
18時に高野山の宿坊「安養院」に到着です。部屋割りを済ませ18:30より大広間で、お寺ならではの夕食をいただきました。野菜類のおかず、ご飯、お汁で肉類の無い「精進料理」膳を、美味しく並んでいただきました。
私達夫婦は、夕食を終えた足でそのまま高野山のバス通りに出ました。今夜のウォーキングを兼ねて30分程、すっかり日が暮れた商店通りを散策しましたが、お土産店は1店舗しか開いて無く、観光地とは思えない程、閑散とした夜街を肌寒く早足で戻りました。
私の部屋は1階の三人部屋で、自己紹介後、テレビを見ながら世間話に花が咲きました。
家内は2階の部屋で、年配のご婦人と二人部屋でした。
家族風呂の様な小さなお風呂をいただき、本日の疲れを落とし22時前に消灯しました。
高野山町は標高900メートルを越え、一足早く秋を迎えることから、掛け布団が心地良かったです。
高野山は ~
弘法大師が816年真言宗密教の根本道場として定められ、国の平和に安らかな生活への道を伝え、併せて末徒の修禅観法のため、また自らの入定の地とする崇高な目的をもって開創された。この山は開創以来1190余年、一般庶民の強い信仰と支持を集め、宗派にとらわれず、あらゆる階層の人々の心の憩いの場として、或いは魂の安息所として発展し、今日の如き一仏都をなすに至ったのである。年々歳々この聖地に杖をひく人々百万を超える。
高野町高野山の町には、5000人が居住し1000人の僧侶がいるそうです。
5時前には起床し6時から朝のお勤めとなります。早朝の本堂は、まだ夜が覚めやらず暗いロウソク灯りの中、静かに住職より法話をいただきました。
「弘法大師は、世界人類の平和を心願し高野山に道場を開かれ、宗教宗派を問わず、世の人々のために命をかけて教育の普及に努めた。般若心経を作られたのは弘法大師であり、600冊の経本を、集約した価値あるお経である。
私達は優しい心で先祖を供養することが大切であり、感謝の心をもつことが優しさである。日本人は不自由が無く、有難さが分からない社会環境下にあり、私達が先人の頑張りのお陰で今があることを教えることが必要である。
四国八十八か所お遍路には、多くの方々が参加されるが、途中で辞められる方も多くいる中で、何故、あなた達が最後まで満願できたのか考えていただきたい・・・・・ それは、あなた達が弘法大師に選ばれた人であるからです」
良いお話を聞かせていただきました。
折角のお寺参りですから、お彼岸を迎え、江口家の先祖供養をお願いしました。
全員で焼香し般若心経を唱えて ~ 合掌。
朝のおつとめは約1時間で終わり、7時より食事作法にて朝食をいただきました。
(霊場 高野山奥の院)
8時にバスへ、今朝は地元の高野山専門ガイドさんと一緒に出発です。
天気予報は雨模様を発しており、空はどんよりと重い雲が拡がっておりました。
奥の院へ向う途中、日本三大霊場である高野山の墓地には、歴史に偉業を残した多くの人達、織田信長、豊臣秀吉、徳川家、毛利家、武田信玄、高杉晋作、坂本竜馬など・・・、そして企業のトヨタ、日産、ホンダ、原爆戦争追悼、各地の被災者、供養塔など・・・・一般の方々、国籍を問わないお墓が、奥の院まで数え切れない程、ずっと並んでおりました。
奥の院境内は、脱帽、撮影禁止となっており写真撮影はできません。お札を入れ、大きな仏増は拝し、奥の院、大師信仰の中心聖地である「弘法大師御廊」に到着しました。
大師は62歳で入定(にゅうじょう)したそうです。
大師は今でもここに御参りされるあらゆる人を救い続けていると信じられています。ロウソク、線香を灯し、心より般若心経を唱えて、無事に満願となりました ~ 合掌。
昨年9月より一年、夫婦で元気に無事満願することができましたことに、心より感謝いたします。
男性のガイドさんは、エピソードとユーモアを交え、笑いを誘い退屈させない非常に話が上手な素敵なガイドであり営業マンです。自称「顔がニューヨークヤンキースの松井、声は西川のりお!」本当にゴジラ松井にそっくりです。
高野山奥の院参拝記念として、奥の院札が祭ってある南無大師遍照金剛盾を二つ購入しました(ゴジラの奨めです)
(総本山 金剛峰寺)
金剛峰寺は、高野山一山の総称であった。この寺は1593年豊臣秀吉の亡母の菩提のために建立、更に1863年再建されたのが現在の建物である。
高野山真言宗の総本山として一切の宗務所があって全国及び海外の末寺四千か寺の行政を統括、壱千万大師信徒の信仰の中心となっている。
「幡龍庭」は、石庭としては我国最大の庭(2340平方メートル)である。雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。龍は四国産の青い花崗岩140個。雲海には京都の白い砂が使われている。京都のお寺でみかける庭園に似ておりました。
鮮やかな朱色に塗られている「根本大塔」は、伽藍中心の塔として高さ50メートル、四面30メートル、中央や四方に巨大な仏像や壁画が描かれておりました。16本の巨大な柱は圧巻でした。
途中で黄色の正装に身を包んだ、走る修行僧の団体に出会いました ~ 合掌。
(昼食)
高野山高野町にある「一の橋観光センター」で昼食となりました。食時作法により、名物の「ごま豆腐」「高野豆腐」など、精進料理のお弁当を美味しくいただきました。
帰広まで、売店お土産売り場で、ごま豆腐などのお土産を購入し、少し疲れた身体を抱えて、一路広島に向かうバスに乗り込みました。
本日、夫婦揃って四国八十八カ寺お参りを終え、弘法大師の宿る高野山の聖地に
御参りをさせていただき、無事に満願できましたことを、心より感謝いたします。
今回のお遍路旅では、生きるとは、そして仏様とは何かを見つけるきっかけに出会えることができた様に思います。まだまだ未熟者であり、半端者であり、心の修行の入り口にも立っておりませんが、より心を高め、人間として生まれてきた清い魂を磨く旅をこれからも続けてまいります。
安養院のお住職様の「八十八カ所を満願できたのは、大師様から選ばれた人である」言葉を謙虚に受け止めさせていただき、少しでも大師様のお考えを学び、そして世の中のために役に立てる様に精進してまいります。
心には心の変化の仕方という法則がある。
良いことを重ねれば心はますます良くなり、悪いことをすれば一回だけと思っていても心は悪へと一歩すすむ。
早く、良い心の展開に身を投げられることが大事である。
そうすれば必ず、まだ見ぬ世界が開けてくる。
満願を導いて下さったこれまでの皆様、そして家内に心より感謝いたします。
合掌!

カテゴリ:心の修行・四国のお遍路の旅日記
「四国八十八カ所 第85番~88番札所 結願」
2009年8月24日
2009年8月22日 お遍路の旅
昨年の9月21日より、家内と二人で「反省と感謝、祈願の巡礼」として始めた「四国八十八カ所の旅」もいよいよ本日で結願となります。これまでの1年間、仕事や家庭の都合、体調不良など色々とありましたが、夫婦で一度も休まず、遂に予定通り、本日15回で最後の八十八番を迎えることとなりました。本日無事に終えると夫婦揃っての結願となります。
家内は、一昨日より体調を崩し高熱により仕事を休んでおり、新型インフルエンザを心配しておりましたが、お陰様で夏風邪ということで昨日の静養で大分良くなりました。本日のお遍路の参加を懸念しておりましたが、熱も下がり大丈夫ということで、今朝は5時過ぎに起床し、慌しく荷造り準備し飛び立ちました。自宅を出る時には、中粒の雨が落ちておりましたので、傘を積んでマイカーを奥屋へと急ぎました。
奥屋パーキングエリアに到着した私達は、サンドイッチを頬張り、バスに飛び乗りました。
第85番 八栗寺(やくりじ)
見慣れた瀬戸大橋を渡り、高松に入った時には、雨はすっかり止んでおり曇り空でした。
八栗寺は前回御参りした屋島の東側、五剣山の中腹にありますので、「ケーブルカー」に乗り換えて登ります。
127人乗りの大きなケーブルカーで、片道約4分程度で到着です。
途中で下りのケーブルカーとすれ違いましたが、とても早いスピードに驚かされました。
途中のお土産店では「招き猫」が、ガラス越しにびっしりと並べられておりましたので、思わず条件反射で写真に納めました(いつもながら困った猫バカ癖は病気です)
お寺に着く途中で、「五剣山」をしっかりと眺める展望場所がありました。壮大な連山から力強さが響く様に伝わってまいりました。遠くには、ぼんやりと屋島の影が見えました。
本堂の背後は剣のようにとがった峰と断崖絶壁で、山岳修行場であったことを彷彿させます。明るい境内は、四季の花が豊富な様子が写真パネルで紹介されていました。
第86番 志度寺(しどじ)
志度寺は、香川県東部にある志度湾に面して建っております。昔の風情が残る志度の町に、番外霊場の地蔵寺があります。
すぐ近くには、江戸時代の学者で著名な「平賀源内」の旧邸とお墓があります。遺品館もあり郷土の異才人にあらためて興味を覚えました。各地で著名人のお墓に出会えます。
重要文化財となっている仁王門の入り口に立つと静まり返った緑あふれる境内。
朱塗りの五重塔や、本堂、大師堂など重厚な構えでした。
いつのまにか、曇り空は8月残暑の晴天に変わり、蝉の合掌も大きく響いております。
蝉の声と般若心経お経が重なり、残暑と一緒に巡礼旅の終を告げる趣を感じました。
本日で結願となる思いからでしょうか、般若心経を唱えながら、これまでの1年間の巡礼のお寺の景色や各地の想い出が巡ってまいります。
~ 昼食 ~
車で20分程移動した「大川オアシス」で昼食となりました。
駐車場のお庭には南国らしさの代名詞である、大きな「ソテツ」が並んでいました。
食事作法にて「ありがたくいただきます」
生醤油で食べる冷やしうどん、押し寿司、天ぷら「ご馳走様でした」
食事会場の大きな窓の向こうには、夏の青い瀬戸内海がパノラマに拡がっております。
遠くには小豆島が薄っすらと浮かんでおりました。
食事を終えて、売店で北海道牧場のミルクソフトをいただきました。
家内は何やら、お土産を買い込んでいた様子です。
第87番 長尾寺(ながおじ)
昼食を済ませ、駐車場に出ると、8月らしく積乱雲が元気よく高く昇っており、外気温もかなり上昇し暑くなってまいりました。額には大きな汗の粒ができておりました。
いよいよ巡礼も、残り2寺を残すばかりとなりました。バスを降りると、あと2か寺の遍路を惜しむ気持ちで、狭い歩道を一歩々踏みしめる様にゆっくりと長尾寺に入りました。
心の中では、あと2か寺で八十八寺のお遍路が完了し、いよいよ開放され結願という嬉しさと同時に、長い旅の終焉を迎える寂しさが交錯し、唱える般若心経にも最後の力がこもります。
仁王門と鐘桜を兼ねた山門を入ると、正面が重厚な屋根の本堂、右が大師堂です。
左右には2メートルを超える大きな「わらじ」が祭ってあります。
鐘桜門から見える本堂は堂々たる佇まいです。
四国には縁の深かった源義経ですが、義経没後の静御前の足跡が「静御前剃髪塚」としてこの寺に残っています。
静御前の母は讃岐小磯の生まれといわれ、静御前はその地に戻ったのでしょう。長尾寺で出家し、近くに小さな庵を結んで生涯を送ったと聞きました。
第88番 大窪寺(おおくぼじ)
ついに、夫婦で結願の寺、八十八番の大窪寺にやってきました。
結願は「けちがん」と読みます。
門前から石段上方に山門が見えました。
第八十八番結願寺、最後の山門と思うと、昨年秋から夫婦で毎月休まずに続けたこの1年間、巡礼の想い出がこみ上げ感無量です。1番札所の霊山寺住職の説教から始まり、これまでの様々な各人や寺の思い出が一気に脳裏を駆け巡ります。
「無事に早く終えたい」という思いと、「まだ終わりにしたくない」「もう少し続けてお参りしたい」安堵感と哀愁の思いが交錯します。
きっと家内の心中も「終えて楽になりたい」「引き返したい・・・」心が乱れているでしょうか。
茶屋横の門を入り石段を登ると、正面が本堂、背後には険しい胎蔵峰がそそり立っていました。本堂の中に「霊場結願所」と書かれた額があります。
結願のあとに奉納された、巡礼の金剛杖がたくさん奉納されていました。
境内で驚いたのは、四国の地で「広島原爆の火」石像が建立され、平和の火が灯されておりました。世界人々の幸福、そして世界平和を願い建立されたのでしょう。
最後の御勤め「般若心経」を、悔いの無い様にと心を込めて唱えました。
夫婦で元気に結願を迎えることを何よりも嬉しく思い感謝いたします。そして私を誘い、最後まで導いてくれた家内に心より感謝します。
昨年家内の誘い「二人で最後まで全部回ろう」のお陰様で、四国八十八ヶ所巡礼が結願できました。
最後のお礼を済ませ、お寺入口の茶屋売店で、遍路一同は待ち合わせとなっておりました。
お寺の入り口にある茶屋に到着すると、お接待の冷たいお茶をいただきました。
一緒に結願をされたお遍路それぞれの方が座敷に腰を下ろし、心地良い安堵の笑顔が溢れておりました。見慣れた顔がたくさんありました。色々とお世話様になりました。先達さんから一人ずつ名前を呼ばれ手渡しで「結願証」の交付となります。
私達の順番は遅くなりましたが「江口歳春、真弓様!」結願証をいただきました。
昨年9月よりスタートした、四国八十八カ所1200kmのお遍路が、本日で無事に結願となりました。これまで出会った多くの皆様方に感謝の念でいっぱいです。
走馬灯の様に、各地の1年が回想されてまいります。光陰矢のごとしです・・・・。
先達さんから教わった作法、山中の古い食堂でいただいた昼食のうどんとチラシ寿司、鰹のタタキ、高知の宿泊先から眺めた土佐湾の赤い夕陽、長い息の切れる急坂、辛く長い階段、徳島金時芋のお土産はたくさん買いました、河川沿いのガード下の凍てつく寒風で唱えた般若心経、1番所の霊山寺住職の説教、北風が身を切る寒冬の遍路、春の見事な桜吹雪、雄大な土佐湾に浮かぶ室戸岬、5月の雨に打たれた紫陽花、土佐清水の足摺岬、長い急坂が続く岩屋寺、ロープウェイ、猫グッズ、境内に咲く綺麗な花々、石像、仏像、古びた茶屋、地元のアイスクリン、お接待のお茶や押し花、連なる山脈、石鎚山、松山道後、わらじ、ロウソク、線香、仏像、山門、般若心経、家内の笑顔、掛け軸、朱印、お守り・・・・・。
9月には、一番札所霊山寺にお礼参りを済ませ、「高野山奥の院」を訪れてお大師様に報告のお礼参りに行きます。
巡礼のけじめとして、きちんと「お礼参り」を済ませ、四国八十八か所お遍路を満願とします。
雑談の中で、先達様より中国観音霊場(岡山、広島、山口、島根、鳥取)33カ所と、小豆島神社仏閣88カ所(弘法大師が修行された道場)を教えていただきました。
小豆島は交通便を考慮すると難題ですが、中国観音霊場には心が微動しましたが、少し休憩をさせていただき、家内と相談したいと考えております。
小豆島は今年10月に社員旅行で宿泊が決定しておりますので、その際にリサーチ予定です。
9月から11月の3か月間週末は、現在構成着手にあります私の書籍原稿作りに専念し11月末には原稿の書き上げ完了を予定しております。
著書のタイトルも今から考えますので、全く手付かずの状態です。
今年の中期経営計画会議の席上で社員に発表した「今年は書籍を1冊書き上げたい」の約束事を守らなければなりません。
書籍原稿が完了した後に、夫婦二人でゆっくりと中国地方を巡礼し、祈願御参りするのは、良さそうです。
「家内安全、家内健康、商売事業繁栄、社員成長幸福、業者繁栄」
四国八十八カ所 結願に心より感謝します 合掌!

カテゴリ:心の修行・四国のお遍路の旅日記
